余命わずかで国立競技場を沸かせたアメフト「ジョー・ロス」 伝説の75ヤードゲインの舞台裏(小林信也)

  • ブックマーク

両脚切断を拒否

 帰国後、ジョーの容体は悪化した。医師は延命のため両脚切断を提案、ジョーはそれを拒んだ。フットボーラーであり続けるために。

 2月20日、ジャパンボウルからひと月後、ジョーは家族とコーチ、チームメイトに見守られ、旅立った。

 病魔と闘いプレーしたジョー・ロスは、日本にも深い衝撃を遺し、多くの人を触発した。アメフト人気が根付く礎になったのはもちろん、他のスポーツを担う人材も、ジョー・ロスに覚醒のきっかけを与えられた。

 野球界のレジェンドとなった落合博満も目撃者の一人だ。落合は朝日新聞の取材にこう語っている。

〈アメフトを初めて観戦したのは、国立競技場で行われた1977年の第2回ジャパンボウルだった。(中略)若くして亡くなったのもあるが、カリフォルニア大のジョー・ロスという有名なQBがいたのをよく覚えている。

 俺は東芝府中で野球をやっていた頃で、自分でチケットを買い、国鉄に揺られて出かけたんだ。〉

 まだ落合の才能を世間が知る前の若き日。遠回りの野球人生を送っていた落合は何を思って自ら観戦に出かけたのか。生命の残り火を燃やすジョーの姿に、触発されたに違いない。勇者ジョー・ロスの熱情は海を越え時代を超えて息づいている。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

週刊新潮 2020年10月22日号掲載

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。