映画『星の子』主演の“16歳”芦田愛菜 当時の小泉今日子や原田知世と比べると

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現在公開中『星の子』★★☆☆☆(星2つ)

 ひとつ目の★は芦田愛菜のこれからに、ふたつ目は原田知世に初恋をしたかつての自分に捧げたい。

 好きな芸能人は、と聞かれたら「芦田愛菜に決まってるじゃねえか!」と即答する。けれど実際は「……芦田、愛菜、ちゃん……かな?」と消え入るような声で、つぶやいてしまう。いまだに彼女を子役だと思っている人びとからあらぬ誤解を受け、蔑まれかねないからだ。

 でも……ちょっと待ってくれよ! 1983年に映画「十階のモスキート」で当時16歳の小泉今日子と共演した内田裕也は、このように“脱帽”を語っている。

〈やっぱり、スターになる奴ってのは怖いよ。とにかくそこらの16とは全然、根性の入り方が違うんだから。これがデビュー作だよ? 映画初出演だよ? まだ16だよ? なのにちっとも物怖じしてねえんだから。(略)俺は警官の、キョンキョンは中学の制服着ててね。「ロックンロール大好きならみんな、不良になるの。ふーん!」なんて、天下のロックンローラーに向かってだぜ? シャレがキツすぎるだろ?〉(キネマ旬報社『内田裕也、スクリーン上のロックンロール』より)

 警官の内田裕也に金をせびる、16歳で竹の子族のキョンキョン。彼女に心奪われたら、「あんな子供を…」と差別されただろうか?

 2004年6月23日生まれの芦田愛菜は、当時の小泉今日子と同じ、現在16歳である。

 3才で芸能界デビュー。6才でTVドラマ「Mother」に出演、天才子役の名を欲しいままにする。「マルモのおきて」で共演した鈴木福とのデュエット曲「マル・マル・モリ・モリ!」で、NHK紅白歌合戦に史上最年少で出場。多忙な芸能活動をこなしながら受験勉強にも励み、難関私大付属中学に合格。大の読書好きで、「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」では「16歳とは思えない」博識ぶりを見せている――。

 今回、彼女は映画「星の子」で自分と同年代の中学三年の少女・ちひろを演じた。彼女の両親はどっぷり「あやしい宗教」にはまり込んでいる。そんな二人にちひろの姉は愛想を尽かして、家を出たり入ったりをくり返している。家族に亀裂が走り、叔父夫婦との関係も壊れかけている。家計もひっ迫しているようだ。

 ある日、ちひろは新任の熱血教師に恋心を抱く。しかし両親の「奇妙な儀式」を目撃した初恋の男は、ちひろを罵倒する。絶望するちひろ……。それでも「大人が求める、理想の子ども」という芦田愛菜のパブリック・イメージをなぞるようにちひろは、家族と共にいることを選択する。

 でもそれはいまの日本の、多くの大人が優等生的な彼女に投影していた、勝手な幻想ではないだろうか?

 はかなく脆(もろ)い。傷つきやすい。ささくれ立っていて、時に攻撃的にもなる。子どもから大人へ移ろうとしている狭間で揺れている。少女特有の感受性を秘めている。そんなあやうい芦田愛菜を、見たかった。

 この映画で芦田愛菜の母親を演じている原田知世は1983年、16歳の時に「時をかける少女」で映画デビューしている。ラベンダーの香りで時をかけたあの少女はもちろん、異性だけでなく同性もが憧れ、恋焦がれる対象だった。映画と同名の主題歌を歌うのも、もちろん原田知世。翌1984年、17歳の時には「愛情物語」でミュージカル女優志望の少女を演じた。毎年誕生日にバラを贈ってくれる「あしながおじさん」を訪ね、旅に出る。1985年、18歳のときの「早春物語」では異性との交際から性体験に興味津々の女子高生。偶然出会った42才の中年男性(林隆三)に恋をする。

 そして1987年、20才で「脱アイドル宣言」。「黒いドレスの女」では北方謙三原作のハードボイルドな世界の住人になる。バッグに拳銃を潜ませ、本能的に男を誘惑していく。同じ年の「私をスキーに連れてって」では、バブル絶頂時の商社OL。三上博史と一緒にゲレンデにシュプールを描く。こちらの欲望を先回りするように、どんどん「成長」していったのだった。

天使と神

 過ぎ去っていく時間の速度を、感じている。そんな少女たちを見たいと思っている。

 1989年、JR東海・クリスマス・エクスプレスのCMで脚光を浴びた時の牧瀬里穂は、18才。翌年、映画デビュー作「東京上空いらっしゃいませ」で彼女は、自分が事故死した事実が理解できず、東京の上空と地上のあいだをさ迷うキャンペーン・ガール、ユウを演じていた。

 彼女が見ず知らずの他人の結婚披露宴に、「スペシャル・ゲスト」として招かれる。ユウと道行を共にしていた中井貴一演じる代理店の男が静かに、トロンボーンを吹き始める。その音色に合わせユウは、まっすぐな声で歌い出すのだ。この映画のテーマ曲でもある、井上陽水「帰れない二人」を。スポット・ライトに照らし出されながら招待客たちの間を、歌って踊るユウ。ピアノに上がってくるくる回る、白いワンピースの裾が翻(ひるがえ)る……。

 たった5分に過ぎないこの場面に、18才の天使だった牧瀬里穂のはかない、だからこそ永遠のイメージがある。『アイドルにっぽん』(新潮社)で中森明夫はそれを、「瞬間少女」と呼んだ。

 山口百恵のキャリアを振り返ってみてもいいかも知れない。

 映画女優として主演デビューは1974年の「伊豆の踊子」、当時まだ15才だった。1975年の「潮騒」「絶唱」が16歳、1976年の「エデンの海」「風立ちぬ」「春琴抄」が17才、1977年の「泥だらけの純情」が18才……。歌手としての快進撃はどうだろう?「あなたが望むなら私何をされてもいいわ」そんな挑発的な歌詞で始まるシングル「青い果実」がヒットしたのは、14才の時!

「女の子の一番大切なものとは、何でしょう?」何度も質問されウンザリし、「処女とでも答えて欲しいのだろうか」とのちに自叙伝『蒼い時』(集英社)で述懐した「ひと夏の経験」が15才。「横須賀ストーリー」は17才。「イミテイション・ゴールド」「秋桜」は18才、「プレイバックPart2」「いい日旅立ち」は19才……。

 そして1980年10月5日、東京・日本武道館での引退コンサートの日が訪れる。ウェディング・ドレスでラストソングを歌い終わった彼女は、さよならの代わりにマイクを残しゆっくり、ステージを去っていく。

 8年間の芸能生活を、それこそ真っ赤なポルシェのスピードで駆け抜けた彼女にふさわしい、まさにグランド・フィナーレ。

 大人か子どもか、その間の少女かという問題では、もはやない。すべての日本人に仰ぎ見られた圧倒的なスタア、時代に魅入られた特別な存在――天使ではなく神、評論家の平岡正明にならうならば「山口百恵は菩薩である」ということになる。

 だから芦田愛菜を子役のイメージに、子ども時代に、閉じ込めてはいけない。

 これまでいちばん彼女が魅力的だったのは、昨夏公開の映画「世界一受けたい授業 THE LIVE 2019 恐竜に会える夏!」のステージ上だった。サディスティック・ミカ・バンドの名曲「タイムマシンにおねがい」を歌う彼女の声はどこまでも真っすぐで、時代のラセンをひと飛びしジュラ紀の世界までも届いているように聴こえた。

 遠い昔に誘いながら、どこまでも未来を志向していた。過去と未来、子どもと大人へ、時間は流れている。だったら未来を選ぶしかない。

 もちろん視界は良好だ。

椋圭介(むく・けいすけ)
映画評論家。「恋愛禁止」そんな厳格なルールだった大学の映研時代は、ただ映画を撮って見るだけ。いわゆる華やかな青春とは無縁の生活を過ごす。大学卒業後、またまた道を踏み外して映画専門学校に進学。その後いまに至るまで、映画界隈で迷走している。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年10月22日掲載

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