紀元前から存在する演劇の力を信じて――吉田智誉樹(劇団四季代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】

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 舞台芸術の本質は、その「同時性」と「一回性」にある。同じ場所、同じ時間に集まり、そこで役者と観客が、ただ一度しか生まれない世界を共有する。しかしながら、コロナ禍はそこを直撃した。これから演劇はどうなっていくのか。観客は戻るのか。生き残りをかけた日本最大の劇団の闘い。

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佐藤 今回のコロナ禍は数多くの業種に多大な被害をもたらしていますが、中でも外食業界や旅行業界、そして劇場については、まさに「直撃」でした。劇団四季は全国に八つの専用劇場を持つ日本最大の劇団です。今の状況をどう受け止めていらっしゃいますか。

吉田 甚大な被害を受けています。同時に、これほど「演劇とは何か」を考えさせられる日々もありませんでした。

佐藤 2月末に全演目を中止しました。

吉田 7月14日に再開するまで、1103回の公演が中止になりました。劇団四季は近年の年間総公演回数が約3千回ですので、その3分の1です。約99万人のお客様と、85億円の売り上げが消滅しました。

佐藤 それは大きな数字ですね。

吉田 再開後も、しばらく50%の席数で上演していましたから、損失はさらに広がっています。

佐藤 再開時には今年末までの販売済みのチケットをすべて払い戻し、再度、売り直したと聞きました。

吉田 お客様同士の十分な間隔を確保しなければなりませんでしたから、席を市松模様のように配置して、販売し直しました。

佐藤 いつまで市松模様の配置で販売したのですか。

吉田 10月末までです。政府による制限緩和が行われたので11月分からは客席数を見直して販売しますが、今後の感染状況によっては再び制限される可能性もある。私たちはロングランで興行を行っていますから、本来なら来年のチケットまで売りたい。でもまだそれができないのです。

佐藤 そうなると、さらに経済的ダメージが深くなる。

吉田 幸いコロナ禍以前に借り入れはありませんでしたし、多少の内部留保もありました。稽古場も自社所有しています。だからいますぐどうこうなるわけではない。でも今後再び感染が拡大するなど事態が長期化すれば、劇団の存続が危ぶまれることになります。

佐藤 影響はその他にも多岐に及んでいるでしょう。

吉田 いま「オペラ座の怪人」の稽古をしています。本当は海外のアソシエイト・スタッフに稽古を進めてもらう予定でした。彼らが来日できなくなったので、リモートで稽古をつけてもらっています。

佐藤 時差があるから大変ですね。

吉田 その通りです。また10月3日に開幕した「ロボット・イン・ザ・ガーデン」という作品はオリジナルミュージカルなのですが、このパペット(人形)デザイナーがイギリスにいまして、これもリモートで稽古をしています。海外のスタッフとの協業が必要なものは、どれも影響が出ています。四季だけでなく、日本の演劇界では、国際的な協業を行う仕事がかなりあります。日本への入国が難しい状況が続けば、更に影響が出ると思います。

劇団員のメンタルケア

佐藤 そうした運営面もさることながら、劇団員の士気を保つことも大切な問題でしょう。

吉田 緊急事態宣言が発出されてステイホームしなければならない時期がありましたね。この時に一番メンタル面で影響を受けたのは俳優たちだと思います。会社の仕事は在宅でも可能ですが、俳優たちは家でコンディションを保つため自己鍛錬するしかありません。

佐藤 それに一人でいると、どんどん不安になってきます。

吉田 この期間、公演はありませんでしたが、俳優たちには一定の報酬を支払いました。

佐藤 ああ、それはいいですね。

吉田 俳優たちには個別に1ステージの単価があり、これに出演回数を乗じた額を報酬として支払っています。ただ「2階構造」になっており、1階部分は四季の舞台に優先的に出演する契約の対価として、キャリアに応じた金額が支払われています。2階部分は実際の出演実績に応じて出す変動部分。この部分は本来出演が無いと支払えませんが、今回は一定の割合で全員に支払いました。

佐藤 その喩えで言うと、私たち作家は2階部分だけです。だから非常に不安定な状況に置かれています。

吉田 他の劇団の俳優たちは、ほとんど2階だけですから、もっとキツかったはずです。

佐藤 経済的な不安が解消できれば、相当気持ちが楽になりますよ。

吉田 そうやってある程度は不安を解消するよう努めながら、再開の日に備えて、オンラインでのレッスンも導入しました。

佐藤 やはり基礎体力をつけておかねばならないし、相手とのインタラクション(相互作用)も重要ですから、稽古は続けないといけない。

吉田 これは創立者の浅利慶太が言っていたことですが、「ダンサーというのは、レッスンを1日休むと自分にわかる、2日休むと相手役にわかる、そして3日休むとお客様にわかる」と。

佐藤 それは文章も一緒ですね。外務省時代、私は情報の仕事をしていましたから、毎日のように電報を打っていました。やはり1日書かないと自分にわかるし、2日書かないと上司にわかる。3日だと、たぶん受け手にもわかるでしょうね。私は職業作家になってから、商業的な文章を書かなかった日は1日もありません。

吉田 俳優たちは自宅待機が最長で3カ月半も続きましたから、再開時には基礎トレーニングから始めました。もう一つ、劇団員には動画で私の話を届ける機会を設けました。普段であれば、劇団員が一堂に会して話す機会も持てますが、今はそれが叶わない。そのため、劇団は公演再開をこういう見通しで考えているとか、政府とこんな交渉をしているとか、起きていることをできるだけ具体的に伝えるようにしました。それでも相当にストレスは溜まっていたと思います。

佐藤 稽古場での稽古を再開されたのはいつからですか。

吉田 6月1日です。ただ600人いる俳優たちが一斉に集まることは感染防止の観点からも難しいので、班分けをしました。横浜の四季芸術センターには、舞台セットがそのまま入るほどの大きな稽古場が三つあります。六つのカンパニーが再開する予定だったので、その6班を二つに分け、まず最初の3班が2週間稽古し、その3班が劇場に行ったら次の3班が稽古場で稽古を始めるというように、完全に分離しました。食事やトイレの場所も班ごとに細かく区分けしました。

佐藤 非常に神経を使われていた。

吉田 PCR検査も1カ月に1度受けています。7月には、横浜で開幕した「マンマ・ミーア!」に出演予定だった俳優1人に陽性反応が出ました。しかし、この班分けが奏功したのか、他に感染者は出ていません。

佐藤 劇場での感染リスクについてはどうされていますか。

吉田 手指消毒を徹底して、必ずマスクを着用していただいています。先日、NHKの取材で、飛沫の可視化実験を行ったのですが、マスクを着用していれば、劇場で隣に座ったお客様同士の飛沫が行き来することはほぼない、という結果が出ました。いまのところ、保健所から劇場で濃厚接触があったという連絡は一度も来ていません。

佐藤 先般、飛行機内でマスク着用を拒否した人が降ろされましたね。すべての人を対象にすれば、必ずそういう人が出てきます。それはどうされます?

吉田 これはお願いするしかないですね。ほとんどのお客様が協力してくださっています。本当にありがたいです。

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