「JR東日本」終電30分繰り上げの理由とは? これまでの終電の推移を辿って分かること
終電の時刻がどのように推移してきたのか、そしてその理由は?
さて、終電の繰り上げをめぐる背景がわかったところで、首都圏を走るJR東日本の各路線で終電の時刻がどのように推移してきたのか、そして、その背景にはどのような理由が存在していたのかが気になったので調べてみた。
文字数の都合もあり、東京駅を出発する中央線、山手線、京浜東北線の各電車を例に紹介しよう。
現在、東京駅を出発する中央線、山手線、京浜東北線の終電は次のとおりだ。
・中央線
0時35分発武蔵小金井行き(1時14分着)
・山手線
外回り 1時03分発品川行き(1時16分着)
内回り 0時39分発池袋行き(1時06分着)
・京浜東北線
横浜方面 0時49分発蒲田行き(1時11分着)
大宮方面 0時59分発上野行き(1時07分着)
2020年3月14日改正
JR東日本によると、これまで終電を繰り上げたことはないという。この言葉を裏付けるとおり、同社が発足した1987(昭和62)年4月1日時点の終電の時刻は次のとおりとなる。
・中央線
0時35分発三鷹行き(1時19分着)
・山手線
外回り 1時01分発品川行き(1時11分着)
内回り 0時36分発池袋行き(1時04分着)
・京浜東北線
横浜方面 0時47分発蒲田行き(1時08分着)
大宮方面 0時56分発上野行き(1時03分着)
1986(昭和61)年11月1日改正
現在は武蔵小金井行きとなっている中央線の終電が途中の三鷹行きであったり、山手線、京浜東北線の終電がいまよりもほんの数分早く出発したりする程度だ。確かにJR東日本の言うとおりほとんど変化がない。
実を言うと、中央線や山手線、京浜東北線の終電がいまのような時刻となったのはJR東日本の前身の国鉄が列車の運行を担っていた1964(昭和39)年10月1日のことである。
この日は東海道新幹線が開業し、9日後には東京オリンピックの開催を控えていた。時刻は次のとおりだ。
1964年10月1日より前の終電の時刻のほうがはるかに興味深い
・中央線
0時35分発三鷹行き(1時18分着)
・山手線
外回り 0時58分発品川行き(1時10分着)
内回り 0時36分発池袋行き(1時05分着)
・京浜東北線
横浜方面 0時48分発蒲田行き(1時10分着)
大宮方面 0時38分発赤羽行き(1時02分着)
1964(昭和39)年10月1日改正
よく見ると京浜東北線大宮方面の終電だけいまよりも21分早く出発していた。
手持ちの資料で確認すると、1966(昭和41)年3月から翌1967(昭和42)年4月までの間に京浜東北線大宮方面の終電は延長されており、1967年4月3日の時点で0時55分発上野行き(1時03分着)の電車が運転されている。
ならば、さらに正確に調べるべきであろうが、あえて省かせていただいた。
なぜなら、1964年10月1日より前の終電の時刻のほうがはるかに興味深いからだ。それでは早速紹介しよう。
・中央線
0時58分発三鷹行き(1時41分着)
・山手線
外回り 0時58分発品川行き(1時09分着)
内回り 0時36分発恵比寿行き(1時26分着)
・京浜東北線
横浜方面 1時00分発蒲田行き(1時21分着)
大宮方面 0時56分発赤羽行き(1時19分着)
1961(昭和36)年10月1日改正
お気づきのように、いまと比べて終電は中央線では23分、京浜東北線横浜方面では11分それぞれ遅かったのだ。
山手線は外回り、内回りとも、京浜東北線の大宮方面はあまり変化がない。しかし、現在は池袋行きとなっている山手線内回りの終電が当時は新宿、渋谷を経由して恵比寿行きであったり、やはり現在は上野行きとなっている京浜東北線大宮方面の終電が赤羽行きだったりという具合に、運転されている区間はいまよりも長いのも特徴である。
1964年10月1日になぜ終電が繰り下げられたのであろうか。
当時の新聞の見出しには「安全輸送へダイヤ改正」(毎日新聞1964年9月29日付け夕刊)とあった。
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