ノブコブ徳井が相方・吉村との20年を語る 「殺意」はやがて「感謝」になった…
相方ほど無謀な男は見たことがない
だが、平成ノブシコブシというコンビは、やはり吉村が核だ。それは100%間違いない。
例えば笑いなど起こりようもないほどの無茶ぶりにも、恥を恐れず果敢に笑いを取りに行く吉村の姿は、一人で大勢の敵陣に乗り込んでいく『キングダム』の戦闘シーンさながら、闘気に溢れている。それが世間には、きっと光り輝いて見えたんだと思う。
あそこまで無謀な男は見たことがないから、きっと最初はみんな鼻で笑っていたに違いない。
「ふふふ、どうせいつか死ぬさ」
そんなふうに思っていた同業者も少なくなかったろう。ところが主人公・吉村は、死ななかった。それどころか、傷つき倒れるたびに強くなっていった。芸人として面白く、上手くなっていった。
すると周りからの評価も上がっていき、吉村も自分に自信が持てるようになる。その好循環の結果、今の活躍に至るわけだ。
僕が一度“死んだ”日
その中でも、僕が吉村の隣にいて一番輝いて見えたのは『はねるのトびら』に出演した時だ。キングコング、ドランクドラゴン、ロバート、インパルス、北陽というスター芸人がレギュラーの人気番組で、最初はコント中心だったが、深夜からゴールデンに進出するにあたりゲームバラエティ番組になっていった。
ワイワイ楽しいゲームコーナー。なんてことはない、と思うだろう。だが芸人からすると、逆にコントの方が楽なのだ。コントは最初から笑いを“内蔵”させておけるから、道中が大変だろうと、面白く考えられた脚本がある限り、面白くなるに決まっている。
ところがゲームコーナーは違う。こうなれば面白いだろう、ああなれば笑えるだろう、というスタッフさんの算段はあれど、実際やってみなければどうなるかは分からない。結局出たとこ勝負になる。
よく笑いの神様が降りる、みたいなことを言うが、あれは嘘だ。頑張った人が、頑張り切った時に笑いが起きているだけなのだ。
だから吉村の上には当然、笑いの神が舞い降りる。片や腐っていた僕は、そりゃひどいもんだった。何もできなかった。いや、何かをしようとさえしなかった。
ある日の収録終盤、演出ではあるけれど、レギュラーメンバーたちがゲストであるはずの僕に散々罵声を浴びせてきた。僕の落ち込んだ背中に、珍しく吉村が優しい声をかけてきた。
「正直、ウケるウケないなんてどうでもいいんだけど。でも、心が折れてたでしょ? 途中でポキッと折れてた。分かるけど、プロならやりきらなきゃダメだよ」
心臓を貫いた一言だった。全くその通りだと思ったから。
「北風と太陽」の如く、僕の持っていた人を傷つける為のナイフは、彼の優しい思いやりの一言に折れた。
あの日、僕は一度死んだ。
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