中曽根元首相への弔意要請は思想統制? 文科省文書を調べて分かった意外な事実
田中角栄元首相は?
ロッキード事件で有罪判決を受けた刑事被告人のまま死去した田中角栄元首相(1918~1993)は、前出の東京新聞の記事によると《内閣が主催に入ると世論の反発を招くため、自民党・遺族の合同葬という形》だったという。
他にリクルート事件で釈明に追われた竹下登元首相(1924~2000)は、《生前に「葬儀は地元でささやかに」と希望していた》こともあり、《故郷の島根県掛合町(現雲南市)と自民党、遺族との合同葬》が営まれるにとどまった。
神楽坂の芸者が「サンデー毎日」(毎日新聞出版)に愛人関係の経緯を告発したことなどから、短命内閣に終わった宇野宗佑元首相(1922~1998)も、東京新聞によると《地元の滋賀県で自民党葬》だったという。
また特に自民党総裁ではなかった元首相の名前が、文部科学省の文書やメモに存在しないのも興味深い。
幣原喜重郎元首相(1872~1951)と芦田均元首相(1887~1959)は古すぎるとしても、日本社会党の委員長だった片山哲元首相(1887~1978)や、新政党や太陽党の党首を務め、民主党の最高顧問などを歴任した羽田孜元首相(1935~2017)の名前はない。
まさに“蓋棺”
もちろん、羽田元首相の名前が書かれた文書はかつて存在したが、保存期限を過ぎて破棄されていたり、文科省内の奥深くに潜んでいたりする可能性は否定できない。
とはいえ、かつて首相を務めても、その後に野党へ“転落”すると扱いは冷たい、という見方も浮かび上がってくる。
念のために新聞記事を検索してみると、中日新聞が17年8月31日、「故羽田氏を首相見送り」という記事を掲載している。全文をご紹介する。
《安倍晋三首相は30日午後、28日に死去した故羽田孜元首相のひつぎを乗せた車を、官邸前で見送った。首相は黒い数珠を手に2度、深く頭を下げ弔意を示した。車は東京・永田町の国会や官邸前の公道を通過。杉田和博官房副長官や官邸スタッフも見送りに加わった》
国立大学に弔意を求めたことを、一部の有権者が《思想統制につながる》と反対している。このことに対して、石嶺氏は前出の記事で以下のように皮肉っている。
《この弔意通達が思想統制につながる、ということであれば、この40年間、ずっと思想統制があった、ということなのでしょうか?》
元首相の弔意表明に関する様々な違いは、どうやら“棺を蓋いて事定まる”という、古来、繰り返されてきた人間ドラマの一種と見たほうがいいのかもしれない。
註1:「核心 国立大に『日の丸・君が代』圧力 予算握る国が実態調査」中日新聞2016年5月3日朝刊
註2:「三木氏葬儀で弔旗掲揚を―文部省が通知」北海道新聞1988年11月30日朝刊
註3:「名古屋大学が弔旗掲揚を検討、職員組合が反発――きょうの福田元首相内閣・自民党葬」毎日新聞1995年9月6日朝刊
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