中曽根元首相への弔意要請は思想統制? 文科省文書を調べて分かった意外な事実
10人は“前例”が確定?
三木元首相も、北海道新聞が1988年、以下の内容を報じた。
《全国の都道府県教委、国立大学など文部省関係機関に対して、故三木武夫元首相の衆院・内閣合同葬が行われる12月5日、弔旗の掲揚と黙とうなど弔意を表すよう求める通知を阿部充夫事務次官名で出した》(出典:註2)
そして福田元首相に関しても、毎日新聞が1995年に「名古屋大学が弔旗掲揚を検討、職員組合が反発--きょうの福田元首相内閣・自民党葬」という見出しの記事を報じている(出典:註3)
メモに名前が記載された6人の元首相のうち、国葬が1人、国民葬が1人、そして新聞記事で弔意表明が確認されたのが3人となった。
こうしたことから推測すると、残る1人である大平元首相でも、弔意の表明が国立大学に求められた可能性があると言えるだろう。
文科省の記録を調べてみると結局、中曽根元首相を含む10人について、国立大学に弔意を求めたと見る方が自然のようだ。
「自民党葬」の元首相
この10人に宮沢元首相と、伊東元首相代理を加えると12人。これを死去した元首相の合計数23人から引くと残りは11人となる。
では11人の名前が、なぜ文科省に残っていないのか。その新たな謎を解く鍵の1つとして、「国費の投入」がある。
先に紹介した東京新聞の記事「中曽根元首相合同葬に違和感」によると、鳩山一郎(1883~1959)、石橋湛山(1884~1973)、池田勇人(1899~1965)という3人の元首相は、内閣が関与しない「自民党葬」だったという。
内閣との合同葬だからこそ国の予算が投入され、同じように国の予算で運営されている国立大学にも弔意の表明が求められる。
この理屈から考えると、「自民党葬」が行われた元首相の場合は、弔意の表明が求められなかった可能性がある。
また“不祥事”の記憶と結びついた首相も、内閣と自民党の合同葬は実施されなかったようだ。
[4/5ページ]