サッカー日本代表「背番号10」を南野が付けたウラ事情 久保建英はなぜ断った?
たかが背番号、されど背番号、なのである。
今年初めてのサッカー日本代表戦がオランダで開催されているが、事前に話題となっていたのは、日本代表のエース背番号“10”を誰が背負うか、であった。
これまで“10”を付けていたのは中島翔哉(26)。しかし今回の遠征では招集から外れ、“10”は空位となった。中島から“10”を剥奪せざるを得ない事情については後ほど説明するが、はてさて、新たな“10”は誰になるのか、スペインリーグで成長著しい若き司令塔、久保建英(19)がいよいよ“10”を付けるのではないか? と、スポーツ各紙は期待を込めて書き立てたのだった。
「今年は、コロナのせいで代表戦が行われなかったので、レプリカユニホームが全く売れず、アディダスは頭を抱えていました」
とサッカーライターが語る。日本サッカー協会公式スポンサーであるアディダスは、代表のレプリカユニホームを独占的に販売している。
「今回の代表戦はユニホームが売れる久々の機会。特に、最も売れる“10”を、いま最も注目されている久保が付ければ、爆売れ間違いなし!と踏んでいたのですが……」
蓋を開けてみると、背番号“10”は南野拓実(25)。久保は“17”だった。
「実は、協会は試合前、久保に背番号“10”を打診していたんです」
と協会関係者が囁く。
基本的に背番号は選手や監督の意向で決まる。しかし、エース番号“10”だけは、ユニホームの売り上げに直結する、つまりステークホルダーであるアディダスの意向が最優先されるのだという。
事実、歴代の“10”を見渡すと、アディダスと契約している選手がずらり。2008年に代表デビューして以来長年に渡って“10”を背負った香川真司ももちろんアディダス契約選手である。
「代表初選出当時の香川は、所属のセレッソ大阪で同クラブのエースナンバーである“8”をつけていました。代表でも“8”を付けたがったのですが、“10”は商売上、“アディダス”の看板選手が付けなければいけない。そこでやむなく香川は“10”をつけた。同じ時期、本田圭佑が代表の“10”を熱望していましたが、本田の契約先はミズノ。希望は叶わず、“4”をあてがわれていました」(同)
香川の後に“10”を継承した中島ももちろんアディダスと契約していた。しかし、彼は昨年、契約先をミズノに鞍替えした。
「今回は本人のコンディション不良のため招集から外れましたが、招集されていたとしても早晩“10”は返上する算段になっていました。アディダスとの契約を解消する時点で“10でなくなる”のは、中島も覚悟の上だったことでしょう」
さて、ここで気になるのは、今回、アディダスが切望していたとされる“久保10番”がなぜ実現しなかったか、である。
「実は、久保本人が打診を固辞したのです」
と協会関係者が明かす。
「なんでも“自分はまだそこまでの選手ではない”と。実際のところ、久保はまだA代表ではこれといった実績はありませんし、エースどころかレギュラーとすら言い難いですからね」
たしかに、オランダ遠征初戦のカメルーン戦では彼はベンチスタートだった。
「そんな自分が“10”を付けるのは格好悪いし、チームメイトから顰蹙を買うのではないか、と考えたみたいです。“10”はスポンサーの力ではなく“自分の力で勝ち取りたい”という気持ちもあるらしい」
その意気込みや良し!
ちなみに、久保に代わって10番を背負うことになった南野も、
「本当は、海外ではストライカーの背番号とされる“9”を希望していました。が、香川のときと事情は同じ。なので、久保より年長者で同じくアディダスと契約している南野に落ち着いたわけ。彼は所属でも“10”を背負ったことはありませんし、そもそも“10”に執着はないので、久保次第でいつでも“10”を譲るようですよ」
舞台裏はややこしいことこの上ない二人だが、ピッチ上では思い切ったプレーを見せてほしいものである。