静かに引退した「本当の英雄」が誇りに思うこと 風の向こう側(80)

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「ポール・ローリーが引退を表明した」

 と聞いて、彼がどこでどんな大会を制したどれほどの選手だったのか、すぐに思い出せるゴルフファンは、世界中にどれぐらいいるだろうか。決して多くはないのだと思う。

 ローリーは現在51歳の英国人。スコットランド屈指の難コース「カーヌスティ・ゴルフリンクス」が舞台となった1999年「全英オープン」の優勝者だ。

 しかし、あの大会は「ローリーが勝った全英オープン」と言うより、「ジャン・バンデベルデが負けた全英オープン」として、ゴルフヒストリーにも人々の記憶にも刻まれてしまい、せっかくメジャー優勝を飾ったというのに、以後、ローリーには、どこか報われないイメージが付きまとった。いや、米メディアによって、そういう報じられ方をされてきたと表現すべきであろう。

 ちなみに、「あの全英オープン」の優勝争いの大詰めは、こんな展開だった。

 マンデー予選をクリアして本戦に出場したバンデベルデ(54)は、2位に3打差の単独首位で72ホール目を迎えた。優勝すれば、フランス人による全英制覇は92年ぶりの快挙。

 そんな重圧を感じながら迎えた18番(パー4)で、バンデベルデはティショットを大きく右に曲げ、2打目はギャラリースタンドにヒットして跳ね返り、バリーバーンと呼ばれる小川の手前の深いラフへ。そこからの第3打を目の前の小川へ入れ、ドロップ後はバンカーに入れてトリプルボギー。彼のリードは一気にゼロになり、先にホールアウトしていたローリー、ジャスティン・レナード(48)との3人によるプレーオフへ突入。そして勝利したのがローリーだった。

 ローリーの優勝は「棚ぼた」「ラッキー」と呼ばれた。そして、大会後の記事の内容の大半は「バンデベルデの悲劇」であって、勝者ローリーに関する記述は、あまりにも少なかった。

 この優勝で得た米ツアー出場権を行使したローリーは、以後、欧米両ツアーに掛け持ちで挑んだ。しかし、米ツアーでの成績はまるで振るわず、5年シードが切れた2004年限りで米ツアーから撤退。そんな具合だったから、米ゴルフ界では目立たない存在だった。

 そしてこの10月、ローリーは欧州ツアーの「スコティッシュ・オープン」(10月1日~4日)を最後に欧州ツアーからも退き、欧州シニアツアーで戦うことを発表した。

「ノー・ファンファーレ、ノー・ファン」

 米メディアの記事には、そんな一文が添えられ、ローリーの「報われないイメージ」を一層膨らませていた。

 だが、それはアメリカ側から見たローリーのほんの一面に過ぎない。

 かつて私は母国スコットランドにおける彼の姿をこの目で見て、大いに驚かされたことがある。それは、「報われないイメージ」とはまったくの正反対。

「彼こそは、真のヒーローだ」

 母国の人々や子どもたちは、みな、そう言っていた。

みな尊敬の眼差しを

 2010年の夏。全英オープン取材のため、スコットランドへ赴いた私は、その開幕前、近郊で開かれていた「ジュニアオープン」を取材してみようと思い立ち、その会場へ向かった。

 表彰式が始まろうとしていたとき、トロフィーの近くに見たことがある人物が立っていた。それが、ローリーだった。

「私はこのジュニアオープンの名誉会長を務めているんです。子どもたちが一生懸命、試合に挑む姿に触れるのは本当に楽しい。私の試合? ああ、全英オープンは明日から練習ラウンドしますよ」

 自身が過去の優勝者でもあるメジャー大会の開幕目前に、自分より地元の子どもたちのために尽くすことを優先していたローリーの姿に大きな驚きを覚えた。

 表彰式でローリーから優勝トロフィーを渡された子どもは、夢見心地でローリーと握手していた。表彰式後、大勢の子どもたちが走り寄ってきて、ローリーにサインや記念撮影を頼んでいた。見守っていた大人たちも、みな尊敬の眼差しを向けていた。

 その真ん中に立っていたローリーの姿は、まさに英雄、母国のヒーローだった。

「人生で最大の興奮を覚える瞬間」

 スコットランドのアバディーンで生まれたローリーは、1986年にプロ転向し、1992年から欧州ツアーで戦い始めた。

 1996年に初優勝。99年に2勝目を挙げた後、「あの全英オープン」を制してメジャー初優勝、欧州通算3勝目を挙げて、高額賞金を手に入れた。

 そのとき、ローリーの頭に浮かんだことは、ただ1つ。

「これで、僕が育ったゴルフの世界に恩返しができる」

 ローリーはさまざまな準備を経た上で、2001年に「ポール・ローリー財団」を設立。最初は18歳以下のゴルフを知らない子どもたちに「ゴルフに触れてもらい、楽しんでもらいたい」と考え、ゴルフで遊ぶようなイベントを地元で実施したところ、大きな反響が得られた。

 次には、ゴルフをしているジュニアゴルファーたちのための指導プログラムも開始したら、参加者はみるみる増え、プロジェクトはどんどん拡大していった。

 そして2011年に「ポール・ローリー・インビテーショナル」を創設。2012年には近郊の練習場を買い取って改修し、「ポール・ローリー・ゴルフセンター」をオープンした。

 やがて、プロジェクトにはサッカーやホッケーをやる子どもたちも加わり、他フィールドと合同で触れ合うスポーツ・コミュニティとしても発展しつつある。

 近年は、穏やかな気候に恵まれる4月から10月に、7歳から18歳までの初心者を、あえてスコットランドとその周辺の名コースへ連れていき、素晴らしい景色の中で楽しくゴルフを体験することで、マナーやエチケット、感謝や喜びを知ってもらうプロジェクトが主体となっている。

 その一方で、ゴルフ上級のジュニアたちには、ローリーをはじめとするプロたちが技術指導を行っているが、その際も「ゴルファーである前に1人の人間であることを忘れるべからず」と教えているそうだ。

 さらに、ローリー財団は未来のチャンピオンを目指して腕を磨いているスコットランド出身の4人のプロゴルファーのスポンサードをしている。

「この財団出身者がトーナメントで勝ったら、メジャーで勝ったら、それは僕が人生で最大の興奮を覚える瞬間になる」

 そう言って目を輝かせるローリーに賛同する企業や団体はどんどん増えていった。選手としてのローリーと契約している金融サービス会社「アバディーン・スタンダード・インベストメント」や欧州ツアー、そして欧州ゴルフの総本山である「R&A」もローリー財団を支えるスポンサーとして名を連ね、その数は15団体以上もある。

 そしてローリー自身は、2012年に『ゴルフクラブ・マネジメント・マガジン』によって「ブリティッシュ・ゴルフに最も影響を与えた人物」の第37代目に選出され、2016年には、自身のブランド「カーディナル・ゴルフ」も立ち上げるなど、充実した日々を過ごしてきた。

 そう、ローリーは、いつだって幸せそうな笑顔をたたえていた。彼自身は自分が「報われない」などとは思ってもおらず、ゴルフによって自分が授かったものをゴルフにお返ししたいと願い続けてきた。

「僕らは何よりそれを誇りに思っている」

 コロナ禍にある今年、ローリーは戦う場と機会を失っていた欧州下部ツアーの選手たちのために「タータン・プロツアー」を創設した。これは、欧州ツアーが選手たちの救済策として創設した「UKスイング6試合」のミニ版的な6試合だ。

「コロナによるパンデミックはスポーツの世界にも奇妙な状況をもたらしている。僕ら欧州ツアーの選手は、欧州ツアーがUKスイング6試合を作ってくれたことに、とても感謝している。でも、そこに出られない下部ツアーの選手たちは、今年、従来の試合が開催されるのかどうかもわからない。しかし、彼らにとっても戦う機会と場は絶対的に必要だ」

 6試合はいずれも男女それぞれの部があり、1試合の出場枠は72人。全36ホールの2日間大会だ。初戦は8月5~6日で、開催場所はローリーが全英オープンを制したカーヌスティだった。5戦目の開催コースは“聖地”「セント・アンドリュース」。そして9月23日~24日の6戦目で全日程が終了した。

 試合の運営と選手たちへの賞金は、選手たちが支払うエントリーフィーとローリーの「営業努力」に頷いてくれたスポンサー4社、それにローリー自身が運営する「ポール・ローリー・ゴルフセンター」とR&Aからの若干のスポンサー料で賄われたそうだ。

 1人の選手の発案と行動で、下部ツアー選手たちのために6つも試合が創設されたことが素晴らしい。困窮していた下部ツアーの選手たちに手を差し延べずにはいられず、即行動したローリーは、だからこそ、スコットランドで英雄視される存在なのだ。

 そして、全英オープンやメジャー大会ではなく、自身の地元の大会であるスコティッシュ・オープンを「引退試合」に選んだところが、いかにもローリーらしい。

「胸中は複雑ですか、淋しいですかと問われるけど、17歳でプロ転向したときは自分が一流の欧州ツアーで戦えるなんて思ってもおらず、ましてやそこで620試合も戦えるなんて夢にも思っていなかったから、今は感謝の気持ちでいっぱいだ。

 これまでツアーでは信じられないほど素晴らしい選手やキャディ、スタッフの方々に出会い、素晴らしい日々を過ごさせてもらった。腰痛が悪化し、年齢的にも以前のように戦えなくなった今の私は、若い選手に1名分の出場枠を譲るべきときを迎えただけのこと。モノゴトには必ず終わりがある。これからはシニアの世界へ移行しようと思う」

 さらにローリーは、こう続けた。

「僕はコース上で達成したことを誇らしく思っているが、僕と妻はコース外で尽くしてきたことのほうがもっと重要だと思っている。僕と妻は、とても若くして出会って以来、どうやったら社会に恩返しができるかをずっと考えながら生きてきた。その考えは形になって、どんどん膨らんでいった。僕らは何よりそれを誇りに思っている」

 ローリーの引退表明に際しては、米メディアが記したように、ファンファーレはなく、コロナ禍ゆえにファンの姿も皆無だった。

 しかし、彼の引退表明は、彼が一番大切に思ってきたことをこれから心置きなくやっていける第2の人生への新たな旅立ちだ。それを待っていた人々が母国にも世界にも大勢いるはずだ。

 今、堂々と花道に立ったローリーの姿は、いつかスコットランドで見た母国の真のヒーローの姿そのものだ。

舩越園子
ゴルフジャーナリスト、2019年4月より武蔵丘短期大学客員教授。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。最新刊に『TIGER WORDS タイガー・ウッズ 復活の言霊』(徳間書店)がある。

Foresight 2020年10月13日掲載

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