【ブックハンティング】維新の経験を世界に生かす理想と情熱

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 明治維新150年にあたる2018年に起草された本書は、新型コロナウイルス感染拡大の影響もあって、当初の計画より上梓が遅れた。今日的なメッセージ性は、むしろ高まった感がある。

 世界はパンデミックによる閉塞のさなかにある。停滞を打破し、新たな発展をめざすには何をすべきか。本書は1世紀半近くも前、日本が驚くべきスピードで実現した変革の実態とその理由を解き明かすことで、現代の政治の課題を浮き彫りにする。

 北岡氏は、日本政治・外交史を専門とする学者であると同時に、国連大使や国際協力機構(JICA)理事長として、100を超える国々に足を運んできた。学問の世界にとどまらず、現実の政治や外交に深く関わる中で養ってきた現場感覚と、日本を常に世界から眺めるグローバルな視線が、本書を貫いている。

日本と中国「近代化」の差

 日本は他のアジア諸国に先駆けて近代国家を樹立した。北岡氏は「外を見る目」の有無、つまり周辺の国際情勢を正しく認識し、行動したかどうかが大きかったと分析する。

 日本は「中華文明の辺境」にあった。東西文明の接触の時期にあたり、「中国人にとっては、中国より優れた文明があるとは思えなかった」が、日本人にとっては日本より優れた文明の存在は自明だった。国を開き、西洋式の制度や民主的な価値観を取り入れることへのハードルは低かった。

 外敵の到来に際し、軍事力という客観的尺度を通じた評価ができるかどうかも重要だった。指導者が文官だった清国や朝鮮と異なり、日本のリーダーは「どちらが強いか」の世界に生きる武士であり、「敵ながらあっぱれ」の精神で欧米人との実力差をただちに受け入れた、という指摘は興味深い。

 明治維新は、中国の近代化に大きな影響を与えた。毛沢東は西郷隆盛の詩に強く感化された。「改革・開放」を主導した鄧小平は、日本より「うまくやれる」と近代化への覚悟を語った。

 だが、中国以外の文明は受け入れないという意識は、根底に残り続けたのではないか。

 日本は岩倉使節団や憲法調査団を欧米に派遣し、西洋式の法制度を積極的に取り入れた。鄧小平も日本や米国を視察したが、主要な関心は技術や科学であり、西洋の制度や価値観に向けられることはなかった。

 そして今、習近平国家主席は日米欧とは価値観を異にする「社会主義現代化強国」をめざすと公言してはばからない。米国は、中国を国際社会に組み入れようとしてきた「関与政策」を修正し、自由主義国家が対中包囲網で結束するよう呼びかける。

 米中2大国による対立の導線は、維新の時代から敷かれていたように思えてならない。

 米中対立のはざまで揺れる多くの途上国にとって、非西洋から先進国となり、伝統と近代を両立させている日本は今も「まぶしいようなすごい国」なのだと、北岡氏は言う。明治維新のように、その国が直面する「もっとも重要な課題に、もっとも優れた才能が、全力で取り組」むことが、途上国にとって決定的に重要だと説く。

「優れた人材」と「衆知」による取り組み

 それを体現するリーダー像として挙げるのが、大久保利通である。「多数の意見だからといって、それを採るのは誤り」だと断言し、自分の議論が「公論」だと確信すれば、時に非常の手段を取ることすらいとわなかった。

 明治維新の代名詞となった「公議輿論」は大衆討議とは全く別物であり、「大久保独裁」と言われた手法に近かったのだろう。

 しかし、こうした手法による改革は、長続きしなかった。明治後半からの有権者の増加を背景に、国政に対する見識や能力にかかわらず、多数を取ることに優れたリーダーや、組織に利益をもたらすリーダーが台頭したためだ。

 こうした傾向は、日本にとどまらない。現代ではSNSの普及が、世界の政治の大衆迎合や分断に拍車をかけている。米国をはじめ世界の民主主義は混迷に陥り、中国式の強権統治モデルは経済発展には有効でも民主主義を育てることにはつながらない。

 厳しい国際情勢の現実を前に、日本は何をすべきか。「簡単な答えはない」と断りつつも、北岡氏はこう結論づける。

「重要な判断基準は、日本にとってもっとも重要な問題に、もっとも優れた人材が、意思と能力のある人の衆知を集めて、手続論や世論の支持は二の次にして、取り組んでいるかどうか、ということである」

 世界が日本に求める役割や果たすべき責任はまだ大きく、今後もその期待に応えていかなければならない。それが、各国を訪問する中で得た確信なのだろう。現実政治に失望するところ大であったとしても、理想と希望を掲げることをためらわない情熱に、改めて圧倒される思いがした。

五十嵐文
1967年東京都生まれ。90年上智大学を卒業し、読売新聞社に入社。政治部、ワシントン特派員、北京特派員、中国総局長(北京)、論説委員を経て、現在は読売新聞国際部長。

Foresight 2020年10月12日掲載

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