「政教分離攻撃」から無節操な大豹変「菅首相」と「創価学会」太い絆 信濃町ウォッチング(8)

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 自民・公明両党の圧倒的支持によって国会で第99代総理大臣の指名を受け、9月16日に自公連立政権を発足した菅義偉首相は早々に27日、公明党の第13回全国大会に駆けつけた。

 公明党は1964年の結党以来、一度も選挙を行うことなく委員長・代表を選出しており、今回の全国大会でも、山口那津男代表が無投票で7選を果たしたが、その山口代表と菅首相は壇上でガッチリと握手してみせた。

 その上で菅首相は挨拶の中で、

「安倍政権7年8カ月、公明党には、安定的な政権運営に尽力をいただいた。日本経済の再生、外交安全保障の再構築、全世代型社会保障の実現といった大きな課題に成果を上げることができた」(『公明新聞』9月28日付)

 と謝意を述べた後、自らの政治の原点と公明党の政治姿勢は通底するとして、次のように公明党を礼賛、やんやの喝采を浴びた。

「私の政治の原点は、横浜市議選に出馬した時、一人でも多くの人に会って市政に対するアンケートを行い、そこから私の考え方を申し上げたことだ。まさに、公明党の皆さんは『大衆とともに』という大きな政治理念の下、全国的なアンケート調査を行っている。重要な問題については、しっかり(国民の声を)吸い上げて、私ども政府に何回となく要請をいただいた。私は、友党・公明党の皆さんの政治に心から拍手を送る者の一人だ」(同)

 自公連立政権の首班として、公明党の全国大会で喝采を浴びた菅首相は、自民党国会議員の中で、もっとも太いパイプを公明党の母体である創価学会と結んでいる政治家として知られている。

 しかし、実はかつては創価学会を、自民党議員の中でもっとも激しく批判・攻撃した政治家の1人であることは、案外知られていない。

「人間の仮面をかぶった狼」

 先の挨拶にもあるとおり、菅首相は横浜市議から1996年の第41回衆議院総選挙で国政に進出した。

 この衆院選は小選挙区での初めての総選挙であり、神奈川2区から出馬した菅氏の直接の相手は、新進党現職(当時)の上田晃弘候補だった。周知のように新進党は当時、細川護熙・羽田孜両政権を誕生させた小沢一郎氏と、創価学会・公明党を中心とする非自民勢力が、政権奪還を目指して組織した自民党と拮抗する最大の政敵だった。

 それだけに、同年初頭の党大会で自民党は、

「いま、わが国の政治にとって最も憂うべきは、宗教団体・創価学会が新進党という政党の皮をかぶって国民を欺き、政治の権力を握ろうと画策していることである」

 との運動方針を採択。その上で、菅氏が初挑戦したこの衆院選を、「これと戦うのが今度の総選挙」と位置付け、「創価学会に日本を支配させるな」との熾烈な反創価学会キャンペーンを展開するなど、政権奪取を賭けての自民党と創価学会・新進党の、まさに血で血を洗う決選が「96年衆院選」だったのである。

 しかも菅氏の相手である上田氏は、創価学会の青年部幹部などを歴任した創価学会プロパーで、前回衆院選で中選挙区の旧神奈川4区で当選した公明党の現職代議士だった。それだけに、神奈川2区での選挙戦は激しいものとなった。

 当時、自民党は機関紙『自由新報』(改称して現『自由民主』)に、「新進党=創価学会ウォッチング」と題する連載を続けていたが、1996年11月5日付『自由新報』掲載の同連載第40回に、元毎日新聞記者で創価学会ウォッチャーとして知られた内藤国夫氏が、

「創価学会、恐るるに足らず 『政教一致』裏付けた異常な選挙妨害と戦う」

 と題して神奈川2区での熾烈な選挙戦の様子を書いている。

 それによると菅氏は、「自民党公認ながら、当選が至難視された新人候補」だったが、「選挙期間中、党本部がハラハラするほど激しい創価学会批判演説をやってのけた」結果、上田陣営から「政教一致の激しい選挙妨害」を受けたが、見事、当選を勝ち得たというのである。

 当時を知る地元の自民党関係者によると、菅陣営は創価学会批判のみならず、池田大作創価学会名誉会長を「人間の仮面をかぶった狼」と非難するビラまで配布するなど、創価学会における最大のタブーである池田批判にまで踏み込んで、徹底的に政教一致批判を展開したのだという。

 その結果、「当選が至難視されていた」菅氏は、4554票差という僅差で辛勝するのだが、前出の連載で内藤氏は、当選候補らしからぬ憔悴した菅氏の姿をこう描いている。

〈予定より大幅に遅れて到着した菅氏は、盛大な拍手に迎えられ、両手を高く挙げて、勝利のポーズをとりはした。しかし、どんでん返しの勝利(なにしろ相手は創価学会が連日一万人前後の全国動員をかけ全面支援した学会出身で新進党現職の上田晃弘氏である。菅氏の勝ち目は、ほとんどゼロからのスタートだった)の感激で、笑いがこぼれて当然なのに、菅“新代議士”の表情に何故か緊張し、悲壮感さえ漂わせているように感じられた〉

 そして内藤氏は、その場での菅氏の当選御礼の挨拶を次のように紹介。

〈『私は選挙期間中、政教分離の大切さをずっと訴え続け、創価学会という巨大組織と真っ向から戦った。私の学会批判選挙に対する妨害があまりにも激しく、政党同士の戦いとは思えなかった。戦った相手は宗教団体だと私は思っている。こういう(筆者注・異常で神経の疲れる)選挙はもう二度としたくない』〉

 これを受けて内藤氏は、こう評した。

〈こういうすさまじい体験をしたのは、菅氏一人にとどまらない。創価学会員を中心とする新進党公認候補と自民党とが鎬を削って戦った全国三十四の小選挙区では、どこでも「もう二度としたくない」不快事例をたっぷり味わわせられたのである〉

 このように、血で血を洗う熾烈な選挙戦を争った自民党は、これ以後、創価学会のスキャンダルを利用しての懐柔と恫喝を駆使して創価学会の抱き込みに動いた。

 そして創価学会もまた、1990年から92年にかけて実施された国税庁の税務調査の対応にあたった矢野絢也元公明党委員長が著書『乱脈経理』で、

〈国税調査が一段落したとき、池田名誉会長は『やはり政権に入らないと駄目だ』と述懐した。(中略)そもそも連立政権誕生の動機が、税務調査逃れと国税交渉のトラウマであったことを確認しておく必要がある〉

 と指摘しているように、組織防衛の思惑から自民党との連携に動き、ついに1999年10月、小渕恵三首相を首班とする自民党、自由党(当時)、公明党による「自自公連立政権」を成立させたのである。

誰よりも知る「創価学会票の有難味」

 激しい創価学会・池田批判を展開した菅氏も、その後、自民党本部と軌を一にするように変節して創価学会に接近していった。

 実際、自身2度目の選挙となる2000年6月の衆院選では、創価学会に選挙協力を依頼している。その当時の菅氏の模様を、菅氏の元公設第一秘書の渋谷健・現横浜市議は、ノンフィクション作家森功氏の著作『総理の影 菅義偉の正体』において次のように語っている。

〈いまほどじゃないですけど、二回目の選挙のときには、手のひらを返したように、自民党本部が創価学会と手をくんだわけです。で、学会から一度挨拶に来いって言われ、菅さんと二人で、山下公園のところにある創価学会の(神奈川県)本部へ行きました。会ったのは地域のトップの方ですけど、「菅さん、あなたこないだの選挙で、池田大作先生のことを何て言った? あんなに批判しておいて気持ちは変わったのか」と一時間ほど、ねちねちと延々とやられました。いやあ、すごかったです〉

〈さすがの菅さんも一生懸命言い訳をしていました。それから選挙のたびに毎回向こうへ挨拶に行くようになりました。逆に菅さんが県連会長のときなどは、神奈川県で唯一、公明党が公認を出している六区の上田勇さんを、自民党の神奈川県連として徹底的に支援しました。大変感謝され、そのあとからとくにいいムードになった。三回目、四回目、五回目ぐらいになると、雰囲気ががらりと変わりました。『おい渋谷、最初はほんとに怖かったな』と菅さんも笑っていました。初当選のときといまとは隔世の感があります。菅さん自身、いまや学会に相当なパイプを持っていますからね〉

 ここで渋谷氏が語っているように、菅氏は、選挙協力を通じて創価学会とのパイプを繋ぎ、それを太いものとしていった。

 その背景には、現在までに小選挙区で8連勝中ではあるものの、4554票差だった初挑戦の1996年選挙はさておき、創価学会に“詫び”を入れて選挙協力を頼んだ2000年選挙では次点の民主党候補に2526票差、そして2009年選挙では同じく548票差と、2回も薄氷を踏む選挙を経験したことがある。つまり、創価学会の支援がなければ落選していた可能性が高く、創価学会票の有難味を誰よりも身に染みて感じているのだ。

 同時に、創価学会とのパイプを太くし、創価学会票を差配する立場になれば、自民党内での存在感と影響力は嫌でも増す。

 自民党神奈川県連会長になってから、さらには官房長官になって以後、菅氏が、創価学会にあって次期会長候補といわれる谷川佳樹主任副会長の腹心で、創価学会の選挙実務を仕切っている佐藤浩副会長との関係を強化し、いまや昵懇の間柄となったのは、マキャベリストとされる菅氏の政治的野心の発露だったといって過言ではなかろう。

日本国政府と創価学会のダイレクトな関係

 菅首相と佐藤副会長の濃密な関係は、各種の選挙や政策決定などの重要な政治的局面でさまざまな影響力を発揮している。

 その実例を2つ挙げておこう。

 1つは、政策決定の場面で、2019年の消費税増税に際し、与党税制調査会で合意していた財務省主導の還付案を「菅―佐藤ライン」でちゃぶ台返しして、創価学会が望む軽減税率を導入した事実である。

 そしてもう1つ、選挙では、いまや一大金権選挙として司直の手が入っている昨年の参院選広島選挙区で、新人の河井案里候補が、自民党岸田派の重鎮である溝手顕正候補を追い落として当選できたのも、創価学会の全面支援によるものであったことを指摘すれば十分だろう。

 当初、広島県の創価学会と公明党は、河井夫妻の評判が悪いことから、河井候補支援を渋っていた。ところが、苦戦する河井候補への支援を官房長官だった菅氏に依頼された佐藤副会長自らが広島入りし、河井候補支援は苦戦している兵庫選挙区とのバーターだと地元組織を説得。公示2日後には、原田稔創価学会会長も広島入りし、河井候補支持で組織を引き締めたことから、安倍晋三首相(当時)と犬猿の仲といわれていた溝手候補の落選と、菅氏の側近である河井克行代議士の妻である案里候補の当選が実現した。

 その間、菅官房長官は自民党候補への支援を差し置いて、公明党候補支援のために3度も兵庫を訪問し、それまで自民党を支持していた港湾関係団体を公明党支援に差し替えるなど、公明党候補の当選に尽力したのである。

「美しい日本を取り戻す」「戦後レジームからの脱却」を掲げ、改憲に突き進むなど、イデオロギー型政治家の安倍前首相と、平和と福祉を掲げる公明党・創価学会は、本来的には水と油の関係だった。また、安倍氏と山口代表は肌合いが合わず、安倍政権下の自民党と創価学会・公明党の関係は実は終始ギクシャクしており、その調整を図っていたのが菅―佐藤ラインだった。

 その結果、安倍政権での首相官邸と創価学会・公明党の関係は、公明党という緩衝材を抜きにしてのダイレクトな関係、すなわち日本国政府と、創価学会という宗教団体がダイレクトに握り合う異常な関係へと変質してしまい、それが今日の菅政権に至っているのである。

巨額相続税の問題

 1996年衆院選に際して、「創価学会による日本支配を許すな」として「政教分離」を声高に訴えていたにもかかわらず、創価学会と濃密どころかダイレクトに握り合う関係を構築して総理大臣の座へ駆け上った菅氏。

 そのあまりに無節操な豹変ぶりには驚くしかないが、ダイレクトに握り合える菅氏が自公連立政権の首班に就任したことは、今年11月18日に創立90周年の節目を迎える創価学会にとっては、極めて好都合である。

 というのも、齢92の池田名誉会長は、満10年にわたって大衆の前に姿を見せず、体調悪化が懸念されている。仮に池田名誉会長が鬼籍に入れば、巨額にのぼるとみられる相続税の問題が発生し、1990年から3年間にわたった国税調査で積み残された諸問題が再燃する可能性が高い。しかし、気心の知れた菅氏が首相である限り、税務調査の心配はない。

 一方、菅首相にすれば、遅くとも来年秋までには実施することになる解散総選挙を勝ち抜くために、創価学会票は欠かせない。多くの自民党議員の当落を左右する“生命維持装置”ともいわれる創価学会票を自家薬籠中のものとしておくことは、自らの権力基盤を固める上でも必要不可欠である。

 政治的野心と組織防衛の思惑で繋がり、握り合った菅首相と創価学会の基盤の上に成り立つ自公連立政権。それが、偽らざる日本の政権の一断面なのだ。

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Foresight 2020年10月12日掲載

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