30年前の1990年を振り返る 小池百合子、山本太郎、桑田佳祐…は何をしていたか?

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なぜ公開初日が真夏ではなく、9月8日だったのか

「稲村ジェーン(監督・桑田佳祐/東宝)が公開されたのも、この1990年である。

 1990年度の日本映画配給収入4位(累計配収18億3000万円)、観客動員数350万人と、興行的には大成功を収めた。

 ただし、評判は芳しいものだったかどうか。

 実際に観に行った筆者も、綺麗な海の映像と、随時挿入される桑田佳祐のボーカルの印象に、肝腎のストーリーが掻き消された印象はどうにも否めない。

 期待値が異常に高かったのもあるだろう。

 よくよく見直すと、その後濫発される「著名人監督作品」とは比較にならない出来栄えだったのは断言していい。

 でも、何かもったいなかった。

 そもそも、なぜ公開初日が真夏ではなく、9月8日だったのか。今も理解に苦しむ。ともあれ、その後、桑田佳祐が映画製作に携わることはなかった。

「明日の変化に生き残るために、自らを変革していかなければならない」と唱えたのは、「マネジメントの父」と呼ばれる経営学者のピーター・ドラッカーである。

 小沢一郎や中村喜四郎ら大物政治家の変遷は、格言を体現しているようで、すがすがしくもある。

 一方で「変わらないことで残るもの」も確実にある。

 そのことを30年という年月は教えてくれている。そう言っていいのかもしれない。

細田昌志
著述業。鳥取県出身。CS放送「サムライTV」でキャスターをつとめたのち、放送作家に転身。雑誌、WEBにも寄稿。著書に『坂本龍馬はいなかった』(彩図社)『ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか?』(イースト新書)がある。メールマガジン「水道橋博士のメルマ旬報」同人。10月29日『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)を刊行。現在Amazonにて予約受付中。
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週刊新潮WEB取材班編集

2020年10月10日掲載

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