30年前の1990年を振り返る 小池百合子、山本太郎、桑田佳祐…は何をしていたか?

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あの頃の小池百合子、的場浩司、山本太郎

 この時期、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」の美人キャスターだったのが、東京都知事の小池百合子である。

 2年後に突如番組を降板した彼女は、参院選に初当選。翌年衆議院に鞍替えし、さらにその数年後に、自民党を離党した件の“剛腕”に擦り寄って手玉に取った挙句、ポイ捨てすることになろうとは、この時点では、誰も想像できなかったに違いない。

 想像できなかったと言えば、この人物が初めて世に出たのも1990年である。

 当時の人気バラエティ番組として思い浮かぶのが、「ドキュメント・バラエティの元祖」と称された「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)である。

 スタートから5年目の1990年は、番組の絶頂期だったと言っていいかもしれない。番組に出演したトラック運転手の的場浩司は、前年に俳優デビューをはたし、この年、人気ドラマ「予備校ブギ」に出演している。そんな硬派な彼が、30年後に「スイーツ男子」になろうとは夢にも思わないのだが。

 この頃、番組の中で注目度の高かったコーナーが、「ダンス甲子園」である。「ダンスブーム」の火付け役となるLL BROTHERSや、海外でも活躍したプロダンサーの田中傑幸が輩出したのはよく知られるところだが、ある意味において、お茶の間に最もインパクトを与えたのが「アジャコング&戸塚ヨットスクールズ」の一員として海水パンツ一枚で奇抜なパフォーマンスを展開した「メロリンキュー」──すなわち、山本太郎である。

 彼が芸能界入りすることは、多くの人が想像しただろうが、その後に政界入りし、件の小沢一郎と野党の共同代表をつとめ、さらに2名の参議院議員を抱える国政政党まで率いようとは、どんな予知能力者でも言い当てることはできなかったはずだ。

イカ天第六代目チャンピオンだったJITTERIN‘JINNの「夏祭り」

 エンタメ業界に目を向けたい。

 30年前と言うと、世は「バンドブーム」である。前年にスタートした深夜のテレビ番組のワンコーナー「三宅裕司のいかすバンド天国」(イカ天)からは数多のバンドが輩出した。

 もっとも解散したバンドも少なくないのは自明の理である。

 とはいえ「虎は死して皮を留め」の故事にあるように、実体がなくなろうと名曲は残る。例えば、イカ天第六代目チャンピオンだったJITTERIN‘JINNの「夏祭り」(作詞/作曲・破矢ジンタ)がそれである。

 1990年8月にリリースされたこの曲だが、彼らがメジャーシーンから姿を消して久しい2000年に、突如、ガールズバンドのWhiteberryによってカバーされ、オリコンチャート3位の大ヒット。紅白歌合戦にまで出場してしまう。

 そこで火が点いてか、アイドルグループのさんみゅ~、女性シンガーのMayJ.、声優の浅倉杏美、演歌歌手のさくらまやと、「夏祭り」カバーの連鎖は止まることを知らず、挙句に、ヤクルトスワローズのチャンステーマとして、今や神宮球場で流れない日はない。

 もはや、夏の定番ソングと言うより、「日本の定番ソング」になりつつある。それも30年前には想像もつかなかったことだ。

 死屍累々たるイカ天バンドマンを尻目に、30年前と変わらず、今も音楽業界のトップに君臨する人もいる。松任谷由実、中島みゆき、桑田佳祐の3名はその代表的存在と見ていい。

 ただし、その一角である桑田佳祐は、この時期、おそらく2度と向き合うことのないインダストリーに注力を傾けていた。映画監督である。

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