「三原じゅん子」の男遍歴 恋人を秘書に、“身内”の生活保護に疑念も

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 これから妊娠・出産を迎える世代からすれば、死語、ということになるのだろう。

 ツッパリ、である。

 1980年代初頭に長ランや短ラン、ロングスカートなどのファッションとともに一世を風靡したツッパリはほどなくヤンキーという言葉にとって代わられる。

 すると彼女の登場はさしずめ、帰ってきたツッパリ、といったところか。

「総理からは“しっかり頼みます”という大変重い言葉をいただきました」

 9月23日、厚労省で会見に現れたのは新副大臣に就任した三原じゅん子参院議員である。

 政治部デスクが言う。

「会見では終始安全運転に徹していた三原さんですが、副大臣就任をとても喜んでいたそうです。自身も患っていた子宮頸がんに対するワクチンの問題はライフワークとしていますし、何より総理肝煎りの政策を任されたことでテンションが上がっているのでしょう」

 その政策とは菅総理が総裁選期間中にぶち上げた「不妊治療の保険適用」のこと。高額な不妊治療について、費用面の負担を軽くしようという新政権の目玉である。

「菅さんは総裁選の告示日に保険適用を唐突に表明しています。これに違和感を覚えた人は少なくなかった。実は裏でその振り付けを行ったのは三原さんだったのです。不妊治療の経験者である三原さんは総裁選の前から菅さんに直接レクチャーをしていましたし、厚労族議員も“あれは三原さんが菅さんの耳元で囁いたからだ”と冷ややかに話しています」(同)

 三原氏はこれをデジタル化推進、携帯電話料金値下げに並ぶ、菅政権の最重要課題に位置付けさせた。自分が焚きつけ、実行する副大臣に任命されたのだから、気分が高揚したのも頷ける。

 内心は一足飛びに厚労大臣に大抜擢されないか期待を抱いていたそうだが、ともあれ、彼女はヤル気マンマンだそう。

「着任して早々、厚労省幹部に対し『指導』を行っています。なんでも、“規制を打破する気持ちで”とか、“あなたたちは現場を知らないからね”なんてお話しになっているとか……。いきなりの上から目線で役人も面食らっていますよ。やはり菅総理が後ろ盾だから強気になれるのでしょう」(厚労省関係者)

 菅総理と結託し、ケンカ上等。早速、厚労省にも「殴り込み」で睨みをきかせたというわけだ。

 もっとも今回に限らず、彼女のこれまでの来し方を振り返れば、通底しているのは「ツッパリ」と「男」と言えるだろう。目的のためにはケンカも辞さないヤンキー気質と愛した男は捨て置けない姉御肌が随所に見られるのである。

 64年、東京都に生まれた彼女の存在が世間に広く認知されたのは79年にTBS系で放映された「3年B組金八先生」だった。茶髪にロングスカートの不良役を演じ、

〈顔はやばいよ、ボディをやんな〉

 という名台詞は今に至るまでの三原氏のイメージを決定づけたといえる。

高給取りの兄が…

 そのイメージが三原氏の「本性」として表沙汰になったのが、87年のカメラマン暴行事件。当時、交際中のミュージシャンと彼女が豊島区の路上で「フライデー」のカメラマン2人に写真を撮られ、激高したのだ。

 当時を知る芸能デスクは、

「三原さんはカメラマンに馬乗りになり、髪を引っ張った上、頭を路上に打ち付けた。要はボコボコにしたわけで、その場で現行犯逮捕。釈放された後、起訴猶予となりましたが、ツッパリイメージを地で行く暴行事件でした」

 そんな三原氏の1度目の結婚は90年。だが、カーレーサーの夫との結婚生活は9年で破綻し、同年にはお笑い芸人として活躍していたコアラ(後にハッピハッピー。に改名)と再婚する。テレビでそのアツアツぶりを見せつけ、2004年には二人の個人事務所を立ち上げた。コアラが社長に就任するも、やはり8年で結婚生活に終止符を打った。原因はコアラの浮気とされている。

 現在は別の芸能事務所を経営するコアラに今の三原氏について尋ねると、

「もう十数年前に別れていますから。当時は(政治家になるとは)感じていませんでしたし、普通に女優、タレントとしてお付き合いしていました。なんで政治家になったのか、ちょっと僕は分からないので」

 バツ2となった彼女は心機一転、政界へ。華やかな芸能界から有象無象(うぞうむぞう)が蠢(うごめ)く永田町に場所を移しても、ついてまわるのはやはり「男」だった。

 2010年、参院の全国比例で初当選すると、コアラに代わって結ばれていた内縁の夫との関係がやり玉に上げられた。

 三原議員の知人によれば、

「三原さんのバックバンドでキーボードを担当していた男性と付き合い始めたのです。彼は11歳年下で、議員になる前から同棲生活を送っていました」

 当選すると、この男性を公設第1秘書に据え、食えないバンドマンを収入面でも面倒を見るように。その年収は約800万円。つまり、税金で内縁の夫を養っていたことになるのだ。しかも三原センセイの随行係と称して議員会館にはほぼ姿を見せず、秘書としての勤務実態は怪しいかぎり。なにしろバンドマンを続けていたのだから、公金を受け取る秘書職が副業ということになる。

 その公私混同ぶりを週刊誌で報じられると、公設から私設秘書へと切り替えたのだが、その給与も政党支部から支出され、原資には税金が含まれていた。さらに男性の親族が生活保護を受けていることも明らかになった。

 本誌(「週刊新潮」)は13年にそのことを報じている。

 証言した男性の知人は当時こう語っている。

「地元にいる彼の妹さんが困窮状態にあり、生活保護を受けとるんですわ。国会議員の公設秘書として高給をもらっとる兄が、妹の支援をしとらんのは問題でしょう」

 まず親族が手を差しのべ、そうした支援者が周りにいない前提で申請するのが生活保護の大原則だ。しかも当時は不正受給が社会問題となっており、何より三原氏自身が自民党で生活保護見直しを提言していた。“身内”に大甘と指摘されても仕方のない事案だったのだ。

「男」に関する物語はまだ終わらない。

 この男性との幸せな生活を送っていたと思われた16年、突如、新たなパートナーが現れた。

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