「浅田舞」「安藤美姫」に見るセカンドキャリアの難しさ 手本は「増田明美」?
かつて東洋の魔女を率いた大松博文監督は、五輪を終えて表敬した佐藤栄作総理に、「お国に青春を捧げた代表選手たちに、お婿さんを紹介して欲しい」と懇願した。時代は移れども、女性アスリートにとってセカンドキャリアは考えどころだ。岐路に立つ彼女たちが見習いたい、大先輩の教えに耳を傾けてみよう。
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9月25日、30歳の節目を迎えた浅田真央の誕生日から遡ること10日の出来事だった。姉の舞(32)は15年間所属した「IMG Japan」との専属契約を終了して、個人事務所「ロリーズ」に移籍すると発表したのだ。
2009年に現役を退いた彼女は、銀盤の上からテレビのスポーツ番組や世界大会の解説に軸足を移したが、キー局幹部はこう話す。
「真央ちゃんの姉というブランドが先行し、語彙力不足で喋りが覚束ない。バラエティタレントとして起用されることの方が多くなりましたが、姉妹共演じゃないと数字は伸びなかった」
芸能担当記者が言う。
「昨年の夏まで、彼女は人気ロックバンド『ONE OK ROCK』でヴォーカルを務めるTakaと交際。“結婚秒読み”と報じられましたが破局しました。交際中は仕事のオファーも断り、マネジメント会社も困っていたようです」
女子フィギュア界では、舞と同世代の安藤美姫(32)も、先ごろテレビで7歳の長女を初めて顔出し公開して話題を振りまいているが、
「バラエティの仕事が多い中での出演とはいえ、今回は父親の話題に触れないとの条件があったそうで、構成が不自然でした。ネット上では“私生活の切り売りはもう沢山”との声も散見されましたね」(同)
「コツコツやること」
やはり視聴者からすれば、彼女たちには選手時代の経験を活かした名解説を望みたいところ。とはいえ、引退後も“本業”で食べていけるのはほんの一握りだ。
先の記者に言わせれば、
「テレビなどでよく起用されるのは、ロス五輪で女子マラソン日本代表だった増田明美さん。己の言葉で語れる数少ないアスリートだと思います」
さまざまな競技の中継で、選手のトリビアを明かす“雑学王”としても知られる。
「よくいろいろな人に“増田といえば小ネタ”と言われますが、それはライターから始まったからかも。一朝一夕ではないですね」
とは、スポーツライターの増田明美氏ご本人。
「1992年に引退後、スポーツライターからスタートし、今でも連載記事は朝日小学生新聞から共同通信や産経新聞など月に6本あります。さまざまな媒体でマラソンにこだわらず書かせて頂いていますよ。書くことは取材しないといけませんし、『材を取るのが取材です』と教えてくださったのは永六輔さん。永さんの『長く残る仕事は地味な仕事です』という言葉も印象に残っていますね」
そんな永は、増田さんの結婚式で司会を務めた。なかなか人が多い所に出たがらない人だったが、「生涯最初で最後」と言って引き受けてくれたそうだ。
「今はNHKラジオの番組を担当し、山中伸弥教授や野村萬斎さんにも出演して頂きましたが、本番までにiPS細胞の本を読んだり、狂言のことを調べたりしています。失敗が多い毎日ですが、書くことを大切にしてきたのがセカンドキャリアにつながったのかもしれません」