シンガポールの人間扱いされない「外国人メイド」 冤罪、暴行、タダ働きの深い闇
東南アジアの優等生として知られるシンガポールで、今、ある判決が波紋を呼んでいる。経済界の大物として知られる人物が、雇用していた外国人家事労働者(以下メイド)を窃盗の容疑で訴えていた裁判で、メイドに逆転無罪の判決が下されたのだ。事件からは、シンガポール社会が抱える闇も浮き彫りになってくる。東南アジア情勢に詳しいジャーナリストの末永恵氏がレポートする。
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インドネシアからシンガポールに出稼ぎに来ていたメイドのパルティ・リヤニさん(46)が、約270万円相当の財産を盗んだとして逮捕されたのは、2016年末のことだった。
パルティさんから“被害”を受けたと訴えたのは、リュー・ムンリョン氏(74)の一家だ。リュー氏は、チャンギ国際空港を始め、中国、イタリア等で国際空港を運営する政府系大企業「チャンギ・エアポート・グループ」会長ほか、その親会社でシンガポール政府が100%出資し、リー・シェンロン首相夫人が最高経営責任者を務める投資会社「テマセク」上級顧問、さらには政府系都市計画コンサルト会社「スルバナ・ジュロン」の会長や「テマセク財団」の理事も兼任するという、シンガポール政府機関の重鎮である。
9月4日に下された高裁判決を受け、リュー氏は10日にこれらの要職を辞任した。事件には司法の公平性を揺るがしかねない“疑惑”があり、10月5日から始まった国会で、野党が政府を追及することは必至と、国政を揺るがす事態となっているのだが……裁判の過程で明らかになったことのあらましはこうだ。
契約違反を訴えたら…
パルティさんは2007年からリュー氏の自宅でメイドとして働いていた。解雇時点での給与は月給600シンガポールドル(約4万6500円)だった。“億万長者の家で働く貧しき外国人労働者”だったようだ。
発端は16年3月、リュー氏の息子が、親元を離れ実家近所に引っ越したことだった。リュー氏の妻は、自宅と共に息子の家、さらに彼の事務所の清掃をパルティさんに命じた。が、シンガポールでは「外国人メイドは登録された住所でしか就労できない(当然、パートタイムや副業も禁じられている)」と定められている。にもかかわらず、リュー一家は幾度もパルティさんを息子宅で働かせた。そのため彼女は契約違反だと一家に訴えていたという。すると16年10月28日、パルティさんは突如として解雇されてしまうのだ。
クビを言い渡されてから「2時間で荷物をまとめて出ていくよう」指示されたパルティさん。しかし、彼女もタダでは引き下がらず、管轄の人材開発省にこの件を訴えるとリュー一家に告げた。そして持ち物をまとめた段ボールを、母国であるインドネシアに、一家の負担で送るよう依頼したという。そしてパルティさんはインドネシアに帰っていった。
ところが、翌日、リュー一家がパルティさんの荷物を開けたところ、その中に家族の所有物があるのを“発見”。盗品とされたのは、プラダやグッチなどの高級ブランドのバッグやサングラスなどに、ジェラルド・ジェンダの高級腕時計、iPhone4、パイオニアのDVDプレーヤー、高級ベッドシート、英国製のピンクナイフ、女性用高級服飾品など、115品目の計3万4000シンガポールドル(約270万円相当)相当だった。これを受けてリュー一家は、10月30日、警察に盗難届を提出した。
パルティさんは、自分が窃盗の容疑者になっているとは知るべくもない。12月2日、新たな仕事を探すべく、インドネシアからシンガポールに再入国したところを空港内で逮捕されてしまう。以降、実に4年間、母国に帰ること叶わず、法廷闘争の日々を送ることになる。2019年3月に地裁で開かれた第一審では、2年2カ月の禁固刑が下された。これに控訴し、今年9月の高裁でようやく無罪を勝ち取ったのだ。
これには「プロボノ」と呼ばれる、無料で弁護を引き受けた弁護士がいたからこそ勝ち得た勝利だった。弁護士費用は実に15万シンガポールドル(約1200万円)に上ったともされているから、パルティさんに払える額ではなかった。
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