新生「スーパーJチャン」から考える 元番組Dが語る「テレ朝躍進の理由はここにある」

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フジテレビのスーパータイムを抜いて、Jチャンが1位になった

 Jチャンにはニュース班と特集班があって、ニュース班は局員と制作会社の人の混成部隊、特集班は制作会社のベテランディレクター中心の精鋭部隊。

 ニュース班が作る特集枠が1つと特集版が作る特集が2つ。毎日3つの特集を放送していたのですからかなり豪華なラインナップでした。

 僕も諫早湾の干拓を追いかけたり、和歌山カレー事件を追いかけたり、ニュース特集のディレクターとしていろいろな経験をさせてもらいました。

 台湾の大地震や、マカオの中国返還、そしてアメリカ同時多発テロの時には2ヶ月近くアメリカ各地を取材させてもらったり、アフガニスタンにも取材に行かせてもらったりしました。

 そして、僕にとっても、Jチャンにとっても大きかったのは北朝鮮による拉致問題や脱北者の取材です。

 僕はJチャンのディレクターであるにもかかわらずほぼ1年中ソウルに滞在し、毎日のように北朝鮮関連の取材をしては日本に送りました。

 確かあの頃だったと思いますが、はじめて視聴率で王者だったフジテレビのスーパータイムを抜いて、Jチャンが1位になったときはとても嬉しかったのを覚えています。

 思えばあの頃のJチャンのニュース特集は、テレ朝報道局の若手の取材力や演出力を高めるための良い場所だったと思います。

 僕のテレビディレクターとしての基本は、間違いなくあの枠で作られたと感謝しています。

 ニュース特集もずいぶん前に廃止されてしまいましたから、局の後輩たちにとっては腕を磨ける貴重な場が一つ無くなってしまったわけですが。

 そして僕はスーパーモーニングや報道ステーションなどの番組を経て、Jチャンに戻りニュースデスクや特集のデスクをすることになりました。

 キャスターはその少し後に小宮悦子さんから渡辺宜嗣さんに交代になったのですが、僕はとても渡辺宜嗣さんを尊敬しています。

古舘さんは朝まで寝ないで待っていて…

 報道ステーションにいる時に聞いた話ですが、当時キャスターをしていた古舘伊知郎さんは渡辺宜嗣さんと実はテレ朝のアナウンサー同期です。

 そして毎日夜の11時過ぎに報道ステーションが終わった後、古舘さんは朝まで寝ないで待っていて、8時から始まるスーパーモーニングを全部見てから寝ていたそうです。

 その理由は、当時スーパーモーニングのキャスターをしていた同期の渡辺宜嗣さんが、その日のニュースにどんなコメントをしたかを毎日確認するからというので驚きました。

 あくまで聞いた話なので事実かどうかは分かりませんが、本当だとすればあの天才アナウンサー古舘伊知郎さんが、ニュースキャスターとして渡辺宜嗣さんに一目置いていたということですよね。

 そのくらい渡辺宜嗣さんは凄い人なのです。

 今回、小松靖アナウンサーにMCを譲り、コメンテーター兼スペシャルリポーターとしてご意見番的な立場になられました。初回の放送でも、まだ固さの抜けない小松くんをフォローされていましたが、お顔が穏やかになったように見えました。

 本当にお疲れ様でしたと言いたいです。

 さて、話を戻して僕がニュースデスク兼特集デスクになってからのことについて。

 僕が特に驚いたのは、「特集班のディレクターたちの取材がガチすぎる」ということ。

 僕が担当していた班は、とにかくディレクターがカメラを自分で回して、決定的瞬間が取れるまで粘って帰ってこない、というなかなか強烈なチームでした。

 これが今どきのテレビには珍しいくらい、ガチで決定的瞬間が取れるまで諦めません。

 人里に出没するクマの問題を追跡しているディレクターは、あまりにクマを追跡しすぎて夜中にリアルにクマと遭遇してしまいました。

 幸いなんの怪我も無かったものの、かなりスレスレです。

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