新生「スーパーJチャン」から考える 元番組Dが語る「テレ朝躍進の理由はここにある」
石田純一、田代まさしがキャスターを務めた時代もあった
「スーパーJチャンネル」がリニューアルされた。番組の元ディレクターの鎮目博道氏は、「テレ朝が好調を維持する理由はこの番組にある」と指摘する。
小松靖アナウンサーがMCを務める、新生スーパーJチャンネルの初回放送を見ました。ヒャダインさんが作った新しいテーマ曲と、明るい画面。そしてピンクを基調とした淡い色合いのテロップで、フォントも原則一種類に統一し、番組が「若返った」ということを強く印象づける演出となっていました。
小松アナには緊張しているのか、結構硬さが目立ちましたが、それは無理もないでしょう。
爽やかなスタートを切ったと言えるのではないでしょうか。
ただ、一点、テロップは各局に比べて少し読みづらい印象です。
高齢の視聴者や、家事などをしながら見る「ながら視聴」が多い時間であることを考えると少し「文字の細さ」が気になりました。
僕が、テレビディレクターとしてのスタートを切った番組はJチャンですし、(以後「Jチャン」と私たちの略称で呼ばせてください)。
一番長い間担当した番組もJチャンです。ですから、この番組には格別の思いがあるのです。
社会部記者からJチャンに異動になって、僕が最初に見た光景は、号泣する石田純一さんでした。
1998年4月に、石田純一さんから小宮悦子さんにキャスターが交代になるタイミングで僕は番組に参加したので、石田さん最終出演回にサブ(副調整室)に見学に行ったのです。
はっきり覚えていませんが、確か学校か何かの特集のVTRが流れた直後だったと思います。
「だあー」というアントニオ猪木さんの掛け声かと思うような声が聞こえたので驚きました。すると、それは特集を見て感極まった石田純一さんが泣く声だったのです。
僕はかなり驚きました。ニュース番組であそこまで号泣するキャスターは後にも先にも石田さんしか見た事がありません。
視聴率も、局内で「視力」と揶揄されるくらいで…
考えてみればあの頃、Jチャンのキャスターは石田純一さんや田代まさしさんだったわけですから、今にして思えばなかなかファンキーです。
視聴率も、局内で「視力」と揶揄されるくらいで、かなり眼が良い人の視力くらいしかなかったような気がします。
ですから小宮悦子さんの新体制が始まった頃のJチャンは超絶自由でした。何せどう転んでもこれ以上視聴率が悪くなりようがないのですから。
そのおかげでJチャンにはとても自由な気風が生まれました。
とても怖いプロデューサーがいて、番組終了後にそのプロデューサーに天の声で「話にならん!」とか一喝されることもあり、我々ディレクターの間では反省会は「天の声アワー」と呼ばれて恐れられていました。
が、面白いVTRを作るとちゃんとウケてくれる人でしたので、なんとか「天の声」を笑わせようと我々若いディレクターはネタのような面白演出VTRを作るのに必死になりました。
僕も割烹着に買い物カゴを持ってオバサンの扮装をして麻布十番商店街で実験をしたり、「朱鷺がようやく交尾をした」というニュースのBGMに「南の国のハメハメハ大王」の曲をかけて「天の声」の大目玉を喰らったりしました。
小宮悦子さんはとても仕事に厳しい方でしたが、毎日なんとか面白いVTRを作ろうと頑張る若いディレクターたちをとても可愛がってくださいました。
特にお気に入りのディレクー3人を「私の3人息子」とか「Jチャン三兄弟」と呼んでいて、僕は一応次男にしていただいていたのですが、おふざけがすぎたのか、他の番組に異動になったからか、後に「次男は死んだの」といろんな人に語っていたようです。切ない思い出です(笑)。
とにかく日々のニュースを面白く伝え、そして長期取材した特集をたくさんやるのがJチャンの売り物でした。
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