ミスを乗り越えていくサッカーに学べ――村井 満(Jリーグ チェアマン)【佐藤優の頂上対決】

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 今回のコロナ禍で、日本で最初にプロスポーツの試合中止を決めたのはJリーグだった。すでに国内の死者1名の時から対策窓口を開設するなど、先手先手の対応は高く評価されている。大局を見極め、次々と適切な判断を下す、リクルート出身のトップの危機管理と企業組織論。

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佐藤 浦和高校を卒業して以来だから、42年ぶりの再会だね。お互い、年を取った。もう還暦だよ。

村井 懐かしいね。マサルと呼ばせてもらっていいかな。会う機会はなかったけれど、マサルの本はいろいろ読んでいた。東欧旅行を描いた『十五の夏』も読んだし、1年9組の同級生・豊島昭彦君について書いた『友情について』も読んだ。

佐藤 ありがとう。この対談には、今年8月まで農水事務次官だった末松広行さんにも出てもらった。彼は以前、漁業を担当していたから、モスクワでも会ったりして、同級生の中では一番縁があった。

村井 それも見たよ。

佐藤 村井さんは当時サッカー部で、いまはJリーグのチェアマンだ。私は文芸部と出版部を掛け持ちしていて、当時は文芸評論家になりたかったけれど、全然違う行政の道に進んで逮捕され、物書きになっている。あれからの半生を考えると、とても感慨深い。

村井 僕は高校でサッカーをやったくらいで、プロの経験もなければ、監督の経験もない。Jリーグのオフィスで働いた経験もないまま、最初に就職したリクルートから人材事業一筋でやってきた。初めは選手たちのセカンドキャリア支援でJリーグとの関わりを持つようになったんだよ。

佐藤 それでまず社外理事になった。

村井 リクルートの中でも転職支援の会社で社長を務めていたからね。プロスポーツの華やかな選手たちではなくて、ロッカールームから荷物をまとめて次の人生に踏み出すところの支援をリクルートのノウハウでできないか、と持ちかけられた。でもどこか無意識にサッカーとの繋がりを求めるところがあったのかもしれない。

佐藤 浦和というサッカーの街でサッカーをやっていたわけだからね。当時の浦和市は、市の予選を抜ければ、県大会は軽々突破して全国大会に行けるくらいに強豪揃いだった。

村井 まず浦和市立南高校がある。

佐藤 南高は『赤き血のイレブン』のモデルだった。それに浦和市立高校に県立浦和西高校もあった。

村井 僕は地元が川越で、かなり遠くから通っていた。だから浦和といえばサッカーで、高校に入ったら当然サッカー部に入るものだと思っていたな。

佐藤 村井さんは倉持守三郎先生に可愛がられていたでしょう?

村井 そう。サッカー部担当の2人のうちの一人だった。

佐藤 倉持先生は人格者で、当時は珍しいサッカーの国際審判員だった。

村井 日本の代表チームの笛を吹いていた。浦高(浦和高校)は倉持先生が高校生の頃に、全国制覇して連覇もしている。

佐藤 だからそうした伝統や歴史が意識の底にある。私は浦和高校で特別に授業をしていたことがあって、そこで村井さんの話をよくしたよ。子供の頃にJリーガーになりたいという夢があっても、高校生ともなれば自分の実力がどれくらいかはわかる。それでもサッカーが好きなら、医者になってスポーツ医学で関わることもできるし、商社に入ってマネジメントをやることもできる。そして実際に先輩でチェアマンになった人もいるんだと。

村井 スタジアム建設もあれば、スポーツ飲料を開発する食品分野もすごく重要だし、企業に入ってスポンサーになるという道もある。

佐藤 行政だってその一つだ。だから高校生に、物事を狭く考えるな、と言ってきた。

村井 スタンフォード大学のクランボルツ教授が「計画された偶発性」というキャリア論を唱えている。個人のキャリアは予想しない偶発的なことで決まるという話で、つまり望んだ仕事に就いている人はほとんどいない。ただ「計画された」という部分が意味するのは、無意識の中に自分のキャリアの下敷きがあるということなんだよね。だから裾野を広く捉えながら、自分のベースの部分をしっかり見ておく。するといい話が舞い込んでくる。

佐藤 私が研究するプロテスタント神学で言えば「予定」だね。村井さんがJリーグのチェアマンになるのは、生まれる前から決まっている、つまり予定されていた。ただ神様の目から見るとそうだけど、人間の目ではわからない。だから自由意志で試行錯誤するけれども、その人に与えられる場所は決まっている。

村井 「計画された偶発性」は英語だと、Planned Happenstanceだから、確かに予定されたとも言えるね。

日本初の決断

佐藤 それに導かれて村井さんはチェアマンになった。すると次々に困難が降りかかってきた。その中で今回のコロナ対策は、非常に高く評価されているね。まず初動が早かった。

村井 国内感染者がまだ1人だった1月22日に、56ある全クラブにそれぞれ1人、コロナ担当を置いてもらうようにお願いしたのが最初だった。

佐藤 武漢封鎖の前の日だよね。あの時にどうして強い危機意識を抱くことができたのかな。

村井 チェアマンになる前に、香港にベースを置いて、アジア26の都市にリクルーティングの会社を立ち上げる仕事をしていたんだよね。だから中国や台湾に友人が結構いた。

佐藤 なるほど。

村井 ちょうどあの時、AFCチャンピオンズリーグが開催されていて、中国ホームの試合が無観客になるかもしれないという情報が入ってきた。それで各地の友人に聞いてみると、ほとんどが大変なことになるという認識だった。

佐藤 香港などはSARSで大混乱になったことが記憶に新しいでしょう。

村井 みんな、これは甘く見ない方がいい、という強い危機感があった。だから警戒レベルを上げようと、各クラブに伝えたんだよ。

佐藤 情報収集の秘訣は二つあって、まずその人が本当のことを知っているかを見極めること。二つ目は、本当のことを教えてくれるかで、この二つをクリアするには、やっぱり信頼関係がないといけない。

村井 中国やインドの友人たちとは、信頼関係構築のためにどれだけ飲んで歌ったかわからないよ(笑)。

佐藤 それから、日本のプロスポーツ界で最初となる中止決定をした。

村井 あれは2月25日。明治安田生命J1リーグ、J2リーグが2月21~23日に開幕して、第1節が終わったところだった。翌24日昼に全クラブを集めて第1節の状況を聞いて検証し、第2節に進めることを決定したら、その夜に政府の専門家会議の会見で「瀬戸際」という言葉が出てきた。それを非常に重い表現だと受け止めたんだよ。それで25日に中止を発表することになった。

佐藤 完全に独自の判断だよね。政府から耳打ちがあったわけではない。

村井 全くなかったね。

佐藤 日本で初めての決断は、やはり怖いでしょう。

村井 怖い。ただ僕は経営者の本気度の代替変数はスピードだと思っている。経営者は権力を持っているから、いろんな理屈をつけて判断を遅らせることができる。例えば、もっと調べろとか、ファクトを押さえろ、とか。でも遅らせていいことはない。それが僕の経験則なんだ。

佐藤 埼玉スタジアム2002で浦和レッズの一部サポーターが「JAPANESE ONLY」の横断幕を掲げた時、無観客試合を決定したのも早かった。

村井 あれはチェアマンになったばかりの2014年、シーズン序盤第2節で、その試合の後1週間で無観客試合を裁定した。

佐藤 無観客試合もJリーグ史上初めてのことだったでしょう。

村井 そう。だから集中砲火を浴びた。特に浦和の対戦相手だった清水エスパルスのサポーターからは、自分たちは何も悪くないのに、なぜ楽しみにしている試合に行けないんだ、新幹線も宿も取っているのにと言われたね。その気持ちは痛いほどわかる。でもあのタイミングで外国人差別、人種差別に対する対応やステートメント(声明)ができなかったら、さらに大きな問題になったと思う。

佐藤 その通りだと思う。あれは危機管理の模範だよ。ただ危機管理は、成功事例はすぐに忘れ去られる。一方、失敗して大事故になった時には、永久に記憶される。だから常に成功しないといけない。

村井 こういう立場になってみて、ほんとにそうだと思うよ。

佐藤 対策には、やり過ぎか、ちょうどいいか、足りないかの三つしかない。でもちょうどいいで収まることはほとんどない。すると、やり過ぎか、足りないかのどっちかになる。その時も今回も、やり過ぎを選択して非常によかった。

村井 今回の感染症は、初めは全体の輪郭がぼやけていて、予防策や対処法がわからず対応がとても難しかった。それが少しずつ見えてきたのはプロ野球のNPBと組んでから。あれが転機になったと思う。

佐藤 プロ野球は長い歴史があるし、人脈も幅広いからね。

村井 中止を決定し発表した25日に連絡を入れた。その頃から連携が本格的に始まった。試合再開や運営はそれぞれ独自で決めるという前提にして、そこで得た情報はスポーツ界全体にオープンにしていくことで合意し、お互いの協力体制を作った。それでずいぶんと横の連携ができた。

佐藤 選手と観客で成立する構造は、スポーツ界はどこも同じだから、そこは重要なところになる。

村井 この半年、いろいろな偶然が重なって先が見えてくることが多かったね。Jリーグが6月末から試合を再開・開幕できたのも、思いがけないところから連絡があり、全選手、全スタッフにPCR検査ができたからだった。それまではやりたくても検査のリソース(資源)が全くなかったし、民間でPCR検査を大規模にやると、医療を逼迫させる懸念もあった。そんな時に、リクルート時代の友人から唾液検査の話が持ち込まれてきた。

佐藤 個人的な人脈が、試合再開を可能にした。

村井 セレンディピティ(偶然の幸運を掴み取る力)と言うのか、偶然、道が開かれることが多い。ノーベル賞受賞者の研究なども、よくセレンディピティだと言われるよね。

佐藤 マックス・ウェーバーの概念だと「思いつき」だね。人が精を出して仕事をしている時に、思いつきはやってくる。

村井 そうなんだ。ほんとに不思議なことがいろいろ折り重なって、いまここにいるような気がするね。

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