「日本不買」でも日本製しかない サムスン惨敗の「韓国」カメラ市場の背景
レンズ交換式カメラシェアは99%以上、なぜ日本メーカーが強いのか?
オリンパス株式会社は9月30日、映像事業の譲渡に関する契約を日本産業パートナーズ株式会社(以下、JIP)と締結したと発表。同社は映像事業を子会社の「OMデジタルソリューションズ株式会社」に継承し、2021年1月1日付で株式の95%をJIPの特別目的会社に譲渡する。
オリンパスは1919年、高千穂製作所として創業し、顕微鏡などを製造、36年にカメラの販売を開始。
1930年代から45年には、旧日本軍に光学製品を供給した。
社名の由来となった高千穂峰は、日本神話で神々が集う山とされており、ギリシャ神話で神々が住むとされる「オリンパス」をブランド名に採用。
1949年、社名をオリンパス光学工業株式会社に変更し、2003年、現社名となった。
デジタルカメラの出荷台数は2010年の1億2000万台をピークに年々減少し、2019年は1500万台まで縮小した。
世界シェアトップはキヤノンで、ニコンとソニーが続き、3社でデジタルカメラ市場の85%以上を、また一眼レフやミラーレスなどレンズ交換式カメラは日本メーカーが99%を占めている。
なぜ日本メーカーが強いのか。
デジタルカメラは、レンズから取り込んだ像を撮像素子(センサー)で電気信号に換え、デジタル信号に変換して記録する。
ハイクラスのデジタルカメラは、初期段階からフィルム一眼レフを応用して開発が進められたが、ベースとなったフィルムカメラの要であるレンズとシャッターはドイツと日本が高い技術を持ち、米国が続いている。
またセンサーも日本企業が市場を制していたビデオカメラの技術を応用しており、デジタルカメラは、初期段階から日本が得意な技術を活用して開発が進められた。
先行するメーカーが特許使用を認めなかったため…
カメラは19世紀、ヨーロッパで発明されたといわれている。
1885年、米コダックの創業者であるジョージ・イーストマンが撮影用フィルムの製造を開始し、1909年、35mm幅フィルムが映画の国際規格に認定された。
1925年、ドイツのエルンスト・ライツがこの映画用35mm幅フィルムを使用するライカ・カメラを発売し、コンタックスなどが追随した。
1934年、米コダックが35mmフィルムを使用したカメラ「レチナ」とカートリッジ式フィルムを発売して以降、35mm判カメラが普及した。
日本ではキヤノンの前身である精機光学研究所が1934年に試作機を完成し、36年、日本光学(現・ニコン)製のレンズとセットで発売したハンザキヤノンが最初である。
旧日本軍に光学兵器を供給していた日本の光学機器メーカーは、戦後、カメラに進出したが、当時、ドイツと米国のメーカーが市場を独占していた。
先行するメーカーが特許使用を認めなかったため、日本メーカーは独自に開発せざるを得ず、また当時、主流だったレンジファインダーや二眼レフカメラではドイツや米国と互角な勝負はできないと判断して、一眼レフに取り組んだ。
レンジファインダーカメラと二眼レフは撮影用とファインダー用の2つのレンズを利用する仕組みで、その一方、一眼レフは1つのレンズで両方の機能を兼ねる。
それが両者の違いで、一眼レフに関して、試作品はあったが量産しているメーカーはなかった。
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