体操「チャスラフスカ」を覚醒させた贈り物は日本刀? 日本を愛し愛された人生とは(小林信也)
「私もサムライの子孫」
もうひとつの宝は、ファンから贈られた日本刀だ。
東京五輪でベラは、大きな失敗も経験した。種目別の段違い平行棒で、上のバーでターンして下のバーに飛び移る瞬間、バーをつかみ損ねて落下したのだ。会場はもとより、テレビを見ていた日本中が息をのみ、静まり返った。次の瞬間、さらに大きな興奮と衝撃をベラは巻き起こした。
通常、体操選手は落下すると次の技から演技を再開する。ベラは違った。失敗した技にもう一度挑戦し、見事に成功させたのだ。
その勇気と気高さに激しく胸を打たれた青年がいた。運送業を営む25歳の大塚隆三。彼は東京体育館を飛び出すと、福島県喜多方市の実家に車を飛ばした。深夜零時すぎ、実家に着くと床の間の家宝の前に跪(ひざまず)き、兄に懇願した。
「兄さん、どうしても刀がほしい。チャスラフスカにあげるんだ。頼む」
戸惑う兄を説き伏せた大塚は翌日、日本刀を直接ベラに手渡した。ベラも「トラック1台分よりもっとあった」という贈り物の中からその日本刀だけを携えて帰国の途についた。渡しに来た大塚のただならぬ気迫が、ベラに日本刀が持つ意味を理屈抜きに伝えたのだ。
改めて記すが、この逸話は長田渚左の取材による成果だ。彼女とは互いに駆け出しの頃から縁がある。雑誌「ナンバー」に連載していた彼女の原稿を編集部で受け取る担当が私だった。その彼女が素晴らしい情熱でこの作品を著した。
2016年8月、ベラは病で天に召された。晩年にはたびたび日本を訪れ、東日本大震災で被災した人たちを励ますボランティアに献身した。どんな弾圧にも屈せず、自由への闘いを貫き続けたベラは言った。
「私は東京オリンピックの時に、サムライの刀をもらっています。代々継承されたサムライの魂です。その魂をもらったのだから、私もサムライの子孫です。背くことはできないのです。一度決めたことは曲げない」
見知らぬ青年に渡された日本刀が、ベラのその後の人生の闘いを支える覚醒の源となった。
コロナ禍もありオリンピックの意義が問い直される中、1964東京五輪がこれだけ深い絆を生んだ事実に感銘を受ける。同時に、現在のオリンピックが果たして同様の深い精神性を内包しているのか、哀しい疑念もぬぐえない。
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