一世を風靡した女たちの消息 「榎美沙子」「ケバルト・ローザ」「やまのべもとこ」
「ヌード結婚式」「愛情防衛庁長官」「悪女の学校副校長」「幸福を売る女」
「結婚プロデューサー」、「愛情防衛庁長官」、「悪女の学校副校長」、「幸福を売る女」……年齢不詳、まるでハーフのような面立ちのこの女性は、奇想天外なアイデアで時代を駆け抜けたものの、詐欺で訴えられ、いつしか音沙汰がなくなっていた。
それにしても、別の名前で人工乳房を作っていたとは……やはり、転んでもタダでは起きない女である。
昭和40年、日本初という触れ込みで「結婚プロデューサー」宣言をした彼女は、43年、「愛の銀行」なるものを設立。
「武道館で231組の合同結婚式を演出した。写真で見る限り、統一教会の合同結婚式にも負けない壮大な式典である。
入会金5万円で200人の会員を集め、「ロンリー・ハート・クラブ」なる浮気斡旋業に手を染める一方で、「愛情防衛庁」を設立。お粗末な浮気調査で散々な批判を浴びた。
「どのブツにも持ち主の人格が現れているのよ」
そう言って、魚拓ならぬ「チン拓」を130本もコレクションして雑誌で発表したかと思えば、47年には「未婚の母」宣言をして自らの出産シーンをテレビで公開。
「悪女の学校」や「愛の教会」の設立、「求婚110番」、「離婚式」……やまのべもとこは、話題になることなら何でもやった。自殺未遂も3度している。
しかし、彼女の悪名を最も高めたのは、やはり「ヌード結婚式」であろう。
なぜ結婚式でヌードになる必要があるのか。それは参加した人にも分からなかった。
「面白そうな企画だとは思ったのですが、“ヌードになるのはイヤだなあ”と言ったら、水着をつけていいと言うし、費用は全額むこう持ちでグアムにも行けると聞いて決心したんです」
「でも、グアムに着くと、やまのべさんが、“週刊誌にはオールヌードの結婚式と言っているので、どうしてもヌードになってくれ”って。脱がなければ莫大な額を払わなければならなくなると言われ、仕方なく脱ぎました」
「乳癌で死ぬか生きるかという瀬戸際に立たされるまで…」
参加者のそんな告発に対し、やまのべは雑誌で強硬に反論。どちらの言い分が正しいのか、いまさら分かったところで仕方がないだろう。
再び、新野まりあことやまのべの述懐。
「いまでは、やまのべもとこと名乗っていた自分を思い出すだけで恥ずかしいんです。あれは私にとっては、うたかたの時代。思いつきだけでニュースの主役になって、味をしめてしまった」
「最後は近寄ってきた人間に騙されて、海外留学生を集める仕事で1億の借金を抱え、債権者に追われてハワイに逃げたんです。そこでフラダンスと出会い、ダンスを通じて知り合った仲間といまの会社を始めたんです」
「それまでは天狗になっていたし、人間としても小ずるかった。つけ睫を3枚もつけたりして本当に嫌な女でした。ヌード結婚式も、ポリシーといえるほどのものは何もなく、アイデアだけ」
「乳癌で死ぬか生きるかという瀬戸際に立たされるまで、私は自分が何者であるのかさえ分からなかったんです。乳房を失ってから全てが変わり、やっと真人間になれたという気がします」
イデオロギーというのは厄介な代物で、これに殉じてしまうと、消息を絶つか、牧師にでもなるしかない。
その点、やまのべもとこはウーマンリブとか、ゲバルトとか、その手の面倒なイデオロギーは最初から持ち合わせていなかった。
それゆえに彼女はいまも元気一杯であり、会社は従業員27名、年商2億円の企業に成長できたのである。
(敬称略)
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