兄貴分が舎弟をハジいたのは極道史上初めて 絆會ナンバー2が見せた“男の意地”

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3時間の説得が不調に終わった末に、先代が当代に発砲…

 9月28日の夕方、長野県宮田村のラーメン店の駐車場で、40代の男性が一緒にクルマに乗っていた男に拳銃で腹を撃たれて重傷を負った事件。ハジかれた男性は、松本市内に本部を置く「絆會」傘下の4代目竹内組の宮下聡組長。ハジいた方は同じ「絆會」ナンバー2の若頭で織田連合の金澤成樹会長。2人は竹内組の先代と当代という関係でもある。兄貴分が舎弟をハジくのは極道史上初と言われる中、2人の間には何があったのか?

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 竹内組は絆會の中でもことに武闘派と知られ、3代目トップが金澤会長、4代目トップが宮下組長だ。

「2人が揉めた原因は絆會の解散問題だったようです」

 と話すのは、元山口組系義竜会会長の竹垣悟氏。

「今年の夏、絆會の織田絆誠組長が組織を解散し、カタギになると周辺に話していたと言います。焼肉屋をやるという話もありました」

「そこで、竹内組の宮下組長は6代目山口組入りをすべく、傘下の3代目弘道会3代目高山組に頭を下げていたのです」

 長野県には長野市や伊那市などを拠点とする弘道会傘下の野内組がある。差し当たって、組長は3代目弘道会の若頭の地位にある有力組織だが、竹内組とは何度も“戦争”を重ねてきた関係だ。

 だから、そのまま竹内組が野内組に吸収されるというわけにはいかなかった。

「山口組が7代目体制に入ったら、野内組の直参昇格は間違いない。一方、3代目高山組トップの南正毅組長は、6代目山口組の司忍組長の実の甥っ子」

「両輪として7代目体制を支えて行くことは間違いなく、若い衆を連れて食っていくためにそういう組織に身を置くという選択は当然のことでしょう」

メンツを潰された? 6代目側のカエシは?

 絆會の池田幸治若頭(真鍋組組長)、山崎博司本部長(古川組組長)はいずれもカタギになった。組織弱体化が著しい中、その池田若頭の後を襲ったのが、他ならぬ金澤成樹会長だったわけだ。

 金澤会長は織田組長の一番の腹心で、最後の1人になっても絶対に裏切らないと言われてきた。そういう思いもあって、弟分の宮下組長が6代目側に移るのは看過しがたかったのだろう。

「“オレについてこい。なぜついて来ないのか?”と3時間に亘って説得したようですが、ラチが明かず、発砲することになってしまったということでしょう」

 短くて長い、長くて短い3時間だったことだろう。

「1989年、竹中武が一和会との和解を不服として山口組を離脱する際、私は竹中組を抜けるわけですが、舎弟頭だった坂本義一は、“みんな好きなところへ行け”と言っていました。また、中野会の中野太郎会長は、5代目から絶縁処分を受ける当時の1997年9月3日に全組員を集め、同じようなことを告げましたね」

「兄貴分が舎弟をハジいたのは極道史上、例がないのではないでしょうか。その逆はかつて、住吉会土支田一家内であったと記憶しています」

「金澤会長はまっすぐな人間でピュアで男らしい人物だと聞いています。織田組長のことは裏切れない。そのことを弟分にわかってほしかった男の意地が見て取れますね。現在逃走中だということですが、おそらく近々当局に出頭することになるでしょう」

 気になるのは、結果として絆會が6代目側に歯向かい、6代目はメンツを潰された構図になる点だが、

「確かにそうなりますね。ただ、両組織の敵はあくまでも神戸山口組です。だから、6代目側から絆側にあからさまなカエシ(報復)があるとは見ていません」

週刊新潮WEB取材班

2020年10月2日掲載

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