「韓国民間人」射殺で文在寅「威信失墜」金正恩「謝罪」の波紋(上)

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 北朝鮮が韓国の民間人を銃殺する、という事件が発生した。同様の事件は2008年7月、金剛山観光に参加していた主婦以来、12年ぶりの悲劇だ。

 さらに韓国側の発表では、北朝鮮は新型コロナウイルスの感染防止のため、銃殺した後に油をかけて遺体を焼いたとされ、韓国民は大きな衝撃を受けた。

 北朝鮮が6月、開城にある南北共同連絡事務所を爆破したのに続く蛮行だけに、冷え切ってきた南北関係はさらに悪化するとみられる。

 北朝鮮は事件発生5日目の9月25日、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の「謝罪」を含む「通知文」を韓国側に送った。北朝鮮の最高権力者がこうした「謝罪」をするのは極めて珍しく、北朝鮮側も南北関係をこれ以上悪化させたくないための措置とみられた。

 一方、南北関係の改善を政権最大の課題とする文在寅(ムン・ジェイン)政権は、金党委員長の迅速な「謝罪」に安堵しながら、共同調査や軍事当局者間の連絡ルートの復旧を要求するなど、国民感情を抑えるために懸命だ。

 この事件の事実関係について、南北の発表には大きな違いがあり、韓国の国民感情の推移は来年4月のソウル・釜山両市長選挙、さらには2022年3月の大統領選挙にも影響を与えるだけに、文政権も民意を宥めようと必死だ。

 文政権は新型コロナ対策では成功したものの、不動産政策の失敗、深刻な雇用状況、息子の軍服務時代の休暇不正問題という秋美愛(チュ・ミエ)法相のスキャンダルを抱えており、これに追い打ちをかけた今回の銃殺事件は、大きなダメージとなっている。

 朴槿恵(パク・クネ)政権は、2014年4月16日に発生した大型旅客船「セウォル号」沈没事件の対応が、退陣の大きな要因になった。

 この沈没事件では、修学旅行の高校生ら304人が死亡・行方不明となったが、事件発生の同日午前10時から、午後5時すぎに中央災難対策本部に姿を現すまでの朴大統領の約7時間の行動が明らかにされず、「空白の7時間」とされた。

 文大統領も今回の銃殺事件にどういう対応を取っていたのか、危機管理のあり方が問われている。今回の事件の推移と問題点、北朝鮮の思惑、今後の南北関係の行方などを探った。

南北の海上境界線付近で行方不明

 韓国の国防部は9月23日午後1時半、黄海(西海)の南北境界近くの小延坪島の南方約2.2キロの海上で9月21日午前11時半ごろ、海洋水産部所属の漁業指導船「ムグンファ10号」に乗っていた公務員A氏(47)が行方不明になったと発表した。

 その上で国防部は、

「9月22日午後、行方不明者が北朝鮮側海域で発見されたという状況を捕捉し、精密分析中」

「関係当局は行方不明の経緯、経路の調査とともに北朝鮮側に関連事実を確認するなど必要な措置を取る」

 と続けた、また国防部関係者は、

「行方不明者の生死は断定できない」

 と述べた。

 行方不明になったA氏は、木浦にある西海漁業指導管理団所属の海洋水産書記で、行方不明になる直前まで漁業指導業務に当たっていた。

 21日午前11時半頃、昼食時間なのにA氏の姿が見えず、仲間の船員たちが船内や近くの海域を探したが見つからなかった。ところが船上に履き物だけが発見されたため、海洋警察に通報した。A氏が何らかの事故で海中に落ちた可能性と、自ら船を離脱して北朝鮮へ「越北」した可能性とが指摘された。

「小延坪島の南方約2.2キロ」という地点は、海の南北境界線ともいえる北方限界線(NLL)まで直線で13キロという近さだ。小延坪島は、2010年11月に北朝鮮が砲撃した大延坪島のすぐ南にある小さな島だ。

 この発表で疑問なのは、単なる行方不明事件であるなら、なぜ最初に通報を受けた海洋警察が発表せず、国防部が発表をしたのかという点だ。さらに、行方不明は21日昼頃なのに発表は23日昼と、なぜ当局の発表が丸2日も遅れたのかという疑問も残った。

無線傍受で28時間ぶりに所在確認

 漁業指導船はすぐに、海洋警察にA氏の失踪を通報した。

 韓国側では、21日午後1時50分ごろから海洋警察、海軍、海洋水産部などの船舶20隻、海軍航空機2機を動員して捜索に当たった。

 同日午後6時には大延坪島、小延坪島の海岸線一帯の捜索も行われたが、A氏を発見できなかった。延坪島に設置されている監視装置などでもA氏を確認できなかった。南北の事実上の境界線であるNLLがあるため、その北側には入れないないという困難もあったとみられる。

 先述のように、国防部は9月23日午後1時半、行方不明者が22日午後に北朝鮮側海域で発見されたという状況を捕捉したと発表した。これは北朝鮮の水産事業所所属の船舶が22日午後3時半ごろ、登山串付近で救命チョッキを着けて浮遊物に乗ったA氏と接触した事実を、軍が探知したことで得た情報だ。

 この情報は「シギント(SIGINT:signals intelligence)」といわれる、北朝鮮の通信傍受による諜報活動で得た情報だ。韓国側はA氏の行方不明から28時間ぶりに、A氏の所在地を確認したわけだ。

 その場所は、行方不明になった海上から北西に38キロのNLL北方の北朝鮮側海域であった。A氏は救命チョッキを着て、ブイのような浮遊物につかまって漂流しながら北朝鮮側水域に入ったとみられるが、9月の水温は低下しており、低体温症や脱水症状などに襲われたようだ。

 韓国軍はその後の9月22日午後4時40分ごろ、A氏が北朝鮮側との接触で「越北」の意思を明らかにしたことを、無線傍受で確認したとみられた。

「銃殺後、遺体に油かけ燃やす」の衝撃

 しかし、この事件はその後、衝撃的な展開を見せる。

 韓国軍の傍受によれば、22日午後9時40分ごろ、高速艇に乗った北朝鮮軍が上部の指示によりA氏を銃殺した。さらに同10時、防護服と防毒マスクを着けた北朝鮮軍は、A氏の遺体に油をかけて、燃やしてしまった。

 10時11分、延坪島にいる韓国軍部隊が監視装置で炎を感知した。10時30分には、北朝鮮がA氏を射殺し、遺体に火をつけたという情報も入手した。

 しかし、この衝撃的な事実はまだ韓国では報じられていなかった。

 韓国政府は9月23日午前1時から同2時半まで徐薫(ソ・フン)国家安保室長、盧英敏(ノ・ヨンミン)秘書室長、朴智元(パク・チウォン)国家情報院長、李仁栄(イ・イニョン)統一部長官、徐旭(ソ・ウク)国防部長官が集まり、関係長官会議が開かれた。ここに文大統領の姿はなかった。

 自国民が北朝鮮により銃殺され、遺体に油をまいて焼かれるという悲劇的な事件が起きたのだが、なぜ大統領が会議に参加せず、報告も受けなかったのだろうか。

事件の渦中で「国連演説」開始

 韓国政府の発表によると、A氏が行方不明になった約31時間後の9月22日午後6時36分に、文大統領に最初の文書報告がされた。

 その内容は「海上墜落事故で捜索中に、北朝鮮側が失踪者を発見」というものだった。これは同日午後3時半、北朝鮮側が、A氏が登山串付近にいることを確認したという報告とみられた。

 韓国政府は同4時40分ごろ、A氏が北朝鮮側へ「越北」の意思を伝えたとしているが、これが最初の報告に含まれていたかどうかは不明だ。

 しかしともかく、文大統領は9月22日午後6時半過ぎには、自国民が北朝鮮側に漂着した事実を知ったわけだ。

 韓国当局はその後の通信傍受で、9月22日午後9時40分ごろ銃殺され、10時ごろ遺体が燃やされたという情報を把握している。しかし、文大統領にこうした情報が上がったのは、夜が明けて9月23日の午前8時半に徐薫国家安保室長や盧英敏秘書室長が対面報告をした時だった、という。本当なら信じがたい話だ。

 報告をしなかった理由があるとすれば、それは文大統領の「国連演説」だ。

 今回は新型コロナのために録画での演説となったが、その開始は、関係長官会議中の9月23日午前1時26分からだ。文大統領は、自身の録画演説を見守った可能性がある。

自国民が銃殺されたのに「終戦宣言」?

 問題となるのは、国連演説の内容だ。

 文大統領はオンラインで行われた録画演説で、

「(南北)終戦宣言こそが朝鮮半島の非核化とともに、恒久的平和体制の道を開く扉になるであろう」

 とし、終戦宣言は、

「平和に対するお互いの意志を確認できる出発点だ」

 と訴えた。

 朝鮮半島の平和体制づくりは昨年2月のハノイ会談の決裂以降、停滞状態が続いている。文大統領は最も取り組みやすい終戦宣言をすることで、朝鮮半島の平和プロセスを再稼働させたいとの意向とみられた。

 しかし、北朝鮮が非核化に否定的な姿勢を取り、再び核ミサイル開発に向かうという威嚇をしながら米大統領選挙の結果を待っている状況での「終戦宣言」の提案は、あまりにも非現実的なものであった。

 北朝鮮が南北共同連絡事務所を爆破し、謝罪もない状況で「終戦宣言」を提案するというのは、朝鮮半島の現実からあまりにかけ離れている。

 さらに、録画したこの演説を放映する段階で、韓国政府はA氏銃殺の事実を把握していた。自国の非武装の民間人が北朝鮮によって銃殺されるという野蛮な行為を知った上で、世界に向かって終戦宣言を提案するというのは、あまりに不適切な対応だ。

 韓国側の発表では、大統領は銃殺などの情報を知らず、それを知ったのは翌朝だったという。常識的に考えるなら、こうした情報はすぐに大統領に報告されるべきだ。

 すでに事前収録し、国連側に渡された演説を急遽差し替えたりすることは容易いことではないだろう。特に終戦宣言の提案は、国境を超えた新型コロナへの対応とともに、今回の演説の中心的なテーマではあった。

 だが、大統領が知らなかったとは言え、自国民が銃殺され、遺体が燃やされたという情報が入った状況で、終戦宣言の提案をするのが適切であったとは言い難い。演説の内容を知る政権幹部は、すぐに大統領に報告し、演説の公表を延期するなりの措置を取るべきだっただろう。

 野党やメディアは今後、大統領にいつ、どのような報告が上がり、大統領が何をしていたかの情報公開を求めるだろう。かつて、進歩勢力が朴槿恵大統領の「空白の7時間」に対して放った矢が、進歩政権に跳ね返ってくる可能性が高い。

新型コロナ感染予防のため火葬?

 韓国政府の発表では、徐勲安保室長、盧英敏秘書室長が9月23日午前8時半から9時まで文大統領に対面報告し、文大統領は、

「正確な事実を把握し、北朝鮮にも確認せよ。もし、情報が事実であれば、国民が憤怒する問題だ。事実関係を把握して、ありのまま国民に知らせよ」

 と指示したという。文大統領のこの指示内容は適切だが、問題はこの対面報告まで、銃殺や遺体が燃やされたことについて報告を受けていなかったことだ。文大統領はこのことに何も言及していない。

 韓国メディアは情報筋を引用し、9月22日夜の段階から、北朝鮮側が行方不明になっていたA氏を確認と報じ始めていたが、韓国政府が公式に発表したのは、先述の通り9月23日午後1時半の国防部のものからだ。この時点では、A氏の生死の判断はできないとした。

 しかし9月23日夜になると、韓国の『聯合ニュース』は複数の情報当局筋の話として、行方不明になったA氏が北朝鮮によって遠距離から銃殺され、遺体を収拾して火葬した、と報じた。

 新型コロナ感染拡大防止のために辺境地域の防疫方針に則って火葬したとみられ、韓国当局は、北朝鮮の高官が介入した計画的な挑発というよりも偶発的な事故、との見方を強めているとした。

 北朝鮮では、7月に韓国に亡命した脱北者が再び北朝鮮に戻ったことで、金党委員長が同25日に党政治局非常拡大会議を開き、国家非常防疫システムを最大非常体制に転換し、脱北者が戻った開城を封鎖した。

 こうしたことから、南北の境界線近くの軍部隊が南側の人間に対して、徹底的な防疫対策を取らなければならないとの過剰反応を示した可能性も指摘された。

 北朝鮮は、南北の軍事的な緊張が高まっていた2017年10月に、北朝鮮側水域に約80キロ侵入して操業していた漁船を拿捕したことがあった。北朝鮮は船員たちを調査し、10月には船員7人を韓国側へ送還した。こうした事例を考えると、今回の北朝鮮側の銃殺、火葬という対応は、いくら新型コロナ感染防止のためとはいえ、過敏反応とみられた。

青瓦台は北朝鮮を糾弾、責任者処罰要求

 韓国政府は9月24日午前8時に関係長官会議を開き、国防部は行方不明者事件の分析結果を報告した。

 同9時、徐薫安保室長、盧英敏秘書室長が文大統領に軍の分析結果を対面報告し、大統領はようやく問題の重要性を認識して、

「国家安全保障会議(NSC)を招集し、政府の立場を整理し、現在までに明らかになった内容を国民にそのまま発表せよ」

 と指示した。

 そして国防部は9月24日午前11時、メディアに対して事件の内容をブリーフィングし、銃殺や遺体を焼いた事実を初めて公表した。

 正午からNSC常任委員会が開かれ、その後青瓦台(大統領府)は9月24日午後3時半、今回の事件に対する韓国政府の立場を公式に表明した。

 青瓦台は北朝鮮の対応を「強力に糾弾する」とした上で、

「北朝鮮は今回の事件に対しすべての責任を負い、その真相を明々白々に明らかにし、責任者を厳重に処罰しなければならない。また反人倫的行為に対して謝罪し、こうした事態の再発防止のための明白な措置を取らねばならない」

 とした。

 南北関係を重視する文政権だが、さすがに非武装の民間人を銃殺し、油をかけて燃やすという信じられない蛮行に対しては、これを糾弾し、責任者の厳重な処罰を要求するしかなかった。それほど韓国民の怒りが強かったといえる。

 翌9月25日、文大統領は「国軍の日」(10月1日)の記念式典に出席し、

「われわれの力で誰も見下げられない強い安全保障体制を整えてこそ、平和を築き、守り、育てることができる」

「政府と軍は警戒態勢をさらに強化する一方、国民の生命を、安全を脅かすいかなる行為にも断固対応することを国民に約束する」

 と述べた。しかし、黄海で発生した銃殺事件にはまったく触れず、北朝鮮を刺激することを避けた印象を与えた。逆に、こうした事件が起きているのに「国民の生命を、安全を脅かすいかなる行為にも断固対応」できていたのかという疑問を投げかけることになった。(つづく)

平井久志
ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

Foresight 2020年10月2日掲載

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