ファーストレディの肖像 小渕、福田、森、橋龍、村山、野田…各首相の妻たち
「本当はくせ毛で、シャンプーするとふわふわで、すごくいい髪型なんです」と橋本夫人
森氏の後、自民党総裁選に再び立ち、小泉純一郎氏に破れたのが、ハシリューこと橋本龍太郎元首相(享年68)。先の小渕氏の1つ前、第82・83代の首相を務めた後の再登板は叶わなかった。
トレードマークだったオールバックの髪型などについて、久美子夫人(78)はかつて週刊新潮にこう語っている。
《あの髪型は、ポマードではなくヘアクリームで固めていたもの。結婚したときから亡くなるまで、家でもずっとあの髪型でした。本当はくせ毛で、シャンプーするとふわふわで、すごくいい髪型なんです。心臓手術で入院した時、「自然な感じがいい」と看護師さんからも好評だったんですが、自分では嫌なんです。人に言われて何かするのは嫌、という人でした》
幼馴染みで血は繋がっていないが遠い親戚だという2人。夫人が大学4年の時、急逝した父・橋本龍伍の後を継いで代議士となったハシリュー。2人に結婚話が持ち上がるのは1965年のことだった。
《ホテルで食事をした後、彼の希望で『愛情物語』という映画を観ました。息子を出産した直後に愛妻に死なれたピアニストの伝記物語です。彼は8回も観ていて、「僕の生い立ちに似ているんだ」と言う。幼くして実母を亡くした彼には、私が知らない部分があったんだなと思い、それが私の中でターニングポイントになりました。彼を支えなくてはという気持ちが湧いてきたんです》
ハシリューは代議士の典型で、金曜日に地元に帰って月曜日に上京する日々。
《そのため子どもたちは秘書の方になついてしまい、まだ幼い次男から「また来てね」と言われた彼が、「妾の家にいるみたいだ」とショックを受けていたこともありました》
「政治家の理想的な夫人のひとりだった」
関係のあったホステスから暴露本を書かれたことや、情報部員と見られる中国人女性とのかつての交際を首相在任中に国会で追及されてもいる。
《女性のうわさもいろいろありましたが、お互いを信じるしかない。疑っているとキリがないので何も聞きませんでした》
《政治家としての人生で一番辛かったのは、首相退任後の1億円のヤミ献金事件でした。日歯連(日本歯科医師連盟)から小切手を渡され受け取ったとされる事件です。新聞で第一報が報じられた朝、家で新聞を広げながら「わからん」と言っていました。彼は嘘を言うような人ではありません。私が冗談っぽく、「本当は受け取ってしまったんじゃないの?」と聞くと、「あなにまでそう言われては」と憤慨していました》
《その後、政治資金規正法違反(虚偽記載)で告発されましたが、嫌疑不十分で不起訴処分。その時点で彼はすでに倒れて集中治療室にいたため、直接伝えることができず可哀想でした》
政界引退後の2006年に腸管虚血が原因で死去した。腸に突然、血液が回らなくなるという原因不明の病気だった。
ハシリューの引退時に、久美子夫人の擁立論があがったほど、彼女は地元・岡山で絶大な信頼・人気があった。
当時を知る政治部記者によると、
「気さくで気が利き、鼻っ柱の強いハシリューに代わり、さりげなく頭を下げる。外ではキザなハシリューも家ではステテコ姿でいるとか、髪の手入れに毎朝40分を要するとか、靴磨きが趣味などと明かしたりね。久美子さんは、政治家の理想的な夫人のひとりだったと言えるでしょう」
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