「菅義偉」は初の法政大出身首相 同級生「生島ヒロシ」が語る“苦学と空手”秘話

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学歴より努力

「僕らの時代は、たとえお金がなくても、頑張って挑戦すれば、高等教育を受けられる機会が存在したわけです。その素晴らしさを現代に復活させる必要がある。そういう想いから菅首相は『自助、共助、公助』と発言したのではないかと思いますね」(同・生島氏)

 先に説明した通り、生島氏が出会った時、菅首相は国会議員の秘書だった。

 その後、87(昭和62)年に横浜市議選に初当選。更に96(平成8)年の衆議院議員選挙に神奈川1区から出馬して初当選。2006(平成18)年に総務大臣(郵政民営化担当大臣を兼務)として初入閣を果たす。

「菅ちゃんは市議、国会議員、入閣とステップアップを果たし、その節目節目に僕らは会ってきました。最後に会ったのは仕事で、確かBSの報道番組か何かで、総務相だった菅ちゃんを僕がインタビューするというものでした」(生島氏)

 改めて菅首相が誕生した感想を訊くと、「もうこんなに嬉しいことはないですね」と手放しで喜ぶ。

「僕らが大学に入学した年、東大入試が中止になりました。例年なら東大に合格する学生が早稲田や慶応へ行き、本来、早慶に合格するような成績の同級生もいました」

法政卒では初の首相

 もちろん大喜びで法政大学に入った学生も多かった。だが、受験で悔しい想いを味わった同級生も相当な数に上った。

「そのため学歴コンプレックスを持つ法政大生は、少なくとも当時は珍しくなかったんです」(同・生島氏)

 政界でも東大や京大のOBは枚挙に暇がない。だが、日本の首相に就任したのは菅氏だった。もちろん法政大学を卒業した総理大臣は初となる。

「大学で一緒に空手を学び、バイトを頑張った菅ちゃんは、政界でも地道な努力を重ねてきました。そんな彼が名番頭というポジションではなく、首相というトップの座を射止めたのが本当に嬉しいですね」(同)

 ある程度なら学歴も役には立つ。だが──。

「やっぱり社会に出て、どれだけ頑張ったかが重要でしょう。どれだけぶれずに、まっすぐ歩むことの大切さを、菅首相は僕たちに示してくれたのだと思います」(同)

週刊新潮WEB取材班

2020年9月25日掲載

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