「菅義偉」は初の法政大出身首相 同級生「生島ヒロシ」が語る“苦学と空手”秘話

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青雲の志

 生島氏が言う。

「真面目といっても、もちろん堅物という意味ではありません。当時は青雲の志というのかな、菅ちゃんに限らず、仲間で会えば夢を語り合うということが普通でした」

 政界志望は明確だったようだ。

「あの頃から菅ちゃんは『人の役に立ちたい、政治家になりたい』と公言して憚らなかったですね」(同)

 法政大学OBで政治志望は珍しい──生島氏は余計に強い印象が残った。

 生島氏は先日、母校の法政大学と青山学院大学の学生とネット上で対論するというイベントに参加した。

 その時に、自分が菅首相と共に法政大学で学んでいた時のことを思い出し、考えさせられたという。

自助、共助、公助

 イベントで学生たちは「今の時代はバイトで学費を稼ぐのは無理だし、将来の夢を持つのも難しい」と声を揃えたのだ。

「今の大学生に比べたら、僕らは苦学生でも恵まれていたのかなと思いました。イベント後、教育支援団体に寄付をさせてもらいました」(同・生島氏)

 そして生島氏は、菅首相が自民党総裁選に立候補を表明した際、「自助、共助、公助」という言葉を紹介したことを思い出したという。

「菅ちゃんが『自助、共助、公助』を使ったのは、イベントで大学生が言ったような閉鎖的な社会を打破するため、僕たちの経験を元にしたメッセージなんじゃないかと思ったんです」

 法政大学は学費が安いため、苦学生が多かった。まずは自分の力で学費を稼ぐ。これが自助だ。

 その一歩を踏み出せば、後は友達が助けてくれることもある。共助だ。

 努力しても、友達が助けてくれても、それでもダメな時もある。その場合は大学や行政が救いの手を差し伸べてくれる。これが公助──というわけだ。

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