「田宮二郎」猟銃自殺のキッカケ 「M資金詐欺師」は「フィンガー5」もダマしていた

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オークラ、ヒルトンと高級ホテルを泊まり歩く、言葉巧みな男

 ジャパンライフの詐欺事件が耳目を集めているが、詐欺が不幸な死を招くことは少なくない。数多くの著名人の「衝撃死」が起こった昭和。とりわけ鮮烈だったのは、俳優・田宮二郎(享年43)の猟銃自殺である。「M資金詐欺」に引っかかったことが原因の一つとされるが、その首謀者は後に「フィンガー5」のメンバーも毒牙にかけていた。(※「週刊新潮」2015年8月6日号掲載記事を再編集したものです)

 田宮が世を去ってから30年余り経った2009年の夏――。千葉県旭市で81歳の老人がひっそりと世を去った。最期の住まいはプレハブの平屋で、家賃は3万円程度。同じ市内に住む、老人の長女が言う。

「晩年、父は生活保護を受けていました。私もお金がなく、葬式も出せなかったんです。お墓も買えないので、今も遺骨は私の家に置いたままになっています」

 老人の名は竹ノ下秋道という。そして尾羽打ち枯らして逝った彼こそが、30年前、田宮を騙し、翻弄した詐欺師だったのである。

「“田宮が詐欺に引っかかっている”という話を聞いたのは、1978年の5月のことでした」

 と振り返るのは、当時は『週刊文春』の記者だった、作家の大下英治氏である。

「情報元は、田宮家にごく近い関係者。話を聞くと、奥さんで女優の藤由紀子さんも危機感を覚え、うちに書かれてもかまわないから、事実を公にして夫の目を覚ましたがっている、というのです」

 こうして取材はスタートした。田宮を騙しているのは「関東畜産協同組合」理事長を名乗り、愛車はリンカーン。

 オークラ、ヒルトンと高級ホテルを泊まり歩く、竹ノ下なる人物だった。その竹ノ下氏が田宮に近づいたのは、77年の暮れ。言葉巧みに持ちかけたのは「M資金」の融資話だった。

“M資金は誰にでも融資する金ではありません”“2000億円を低利で”

 M資金とは、戦後、GHQが旧日本軍から接収し、秘密資金にした――と言われる巨額の金のこと。

 もちろん実際には存在しないが、終戦直後から、これを融資すると言って、手数料などを騙し取る詐欺が多発し、全日空の社長やTBSの幹部が騙されたことも。

 ちなみに「M」とは、GHQのマーカット少将の頭文字とされる。

 大下氏が続ける。

「彼は田宮に“M資金は誰にでも融資する金ではありません。日本の有為の士にだけするのです”“あなたはそれにふさわしい”“2000億円を低利で融資します”“催促なしのある時払いでいい”などと、持ちかけた。実は田宮には躁鬱病の気があり、この時は“躁”。で、コロッと騙されてしまったのです」

 田宮はこれを元に事業計画を立てた。

 まずは、本拠地とするために、南麻布の高級マンションを3部屋購入。元麻布の自宅の隣に「迎賓館」を作るための土地を買い、3~4億の借金を背負った。

 更に、潰れた会社の再建や、大映撮影所跡地の購入、世界人形館の建設、果ては、トンガの石油開発など、ありとあらゆる構想を立て、実行に移そうとしたのだ。

 もちろん、原資は竹ノ下氏から入るはずの2000億円だったのだが……。

「ここで“計画”通り、78年の春には竹ノ下はドロン。マンション購入の手数料として900万円は取られてしまったし、高級ホテルの宿泊代500万円が田宮のツケになっていました」(同)

「GHQが接収していた旧華族の財産が各省庁に返還された」

 5月末には大下氏の記事が出てコトの顛末が明らかになり、他のマスコミを巻き込んだ大騒動となった。

 ようやく目を覚ました田宮は、無駄に買った不動産を売却。何とか被害を最小限度に抑えるが、今度は“鬱”状態に陥り、その年の暮れには、自宅で壮絶なる死を遂げるのであった。

《「M資金」詐欺、千葉の男性を逮捕》
《フィンガーファイブの元メンバーも被害》

 そんな見出しが新聞に踊ったのは、その20年余り後、1999年のことだった。

 容疑者はまたぞろ竹ノ下氏。当時の新聞記事によれば、彼は、アイドルグループ「フィンガー5」の元メンバー・玉元一夫氏に対し、「GHQが接収していた旧華族の財産が各省庁に返還された」「うち300億円を融資する」などと持ちかけて、印紙代として400万円を騙し取ったのだという。

 M資金を餌に、著名人に接近する――。竹ノ下氏の詐欺の手口は、20年経って尚、まったく変わっていなかったというワケなのだ。

 先の長女が明かす。

「父は当時、愛人と一緒で、私や母とは別れて暮らしていました。しかし、出所後は女性とも別れ、冤罪を主張し続けた。個人で濡れ衣を晴らすための裁判も行っていて、亡くなったのはその最中だったのです」

 長女によれば、亡父は田宮の件についても“無罪”を主張していたそうだ。

「最期まで父は、自分が田宮さんを騙したとは思っていなかったと思います。自殺の時も大層ショックを受け、“俺があの男を紹介してしまったばかりに……”としきりに後悔していました。父によれば、自分が紹介した別のブローカーの男性によって田宮さんは騙され、自殺に追い込まれてしまったということでした」

 と言うから、責任の所在をはき違えたまま、彼は生涯を終えたということであろう。

 詐欺師の常と言えばそれまでだが、そんな彼の姿を30年間、あの世から見続けていた田宮は、果たして、どんな思いを噛みしめていたことであろうか――。

週刊新潮WEB取材班

2020年9月22日掲載

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