157キロを「清原」に打たれて…「伊良部秀輝」が投球を変えた舞台裏(小林信也)
“伊良部クラゲ”の誕生
伊良部は、牛島との会話に触発された。そして、初めて誰かに見守られて野球をする悦びを感じた。生来、甘えん坊なところがある伊良部にとってそれからの充実はかけがえのない経験だったに違いない。
「ボクの野球の考え方で、他の人と違うところがひとつあるんです。相手バッターの弱点を狙えと言うでしょ。でもね、3万4万、時には5万人の観衆の前で、緊張感と不安でピッチャーは頭の中、真っ白になります。そんな最悪の状況で、18・44メートルも離れたところからボール1個分のコースといったらタバコの箱の幅ですよ。それを狙って投げろなんて無茶な話だなと。狙っても甘くなって打たれるのがピッチャーですよ。それで気づいたのが、ホームベースの横幅ではなくて、投手と打者との距離の使い方で勝負するってことです。肩の動きやヒジの動きでいかに打者のタイミングを外すか……。それがわかり始めて勝てるようになった」
日本ハム・大沢監督から「伊良部クラゲ」と形容されたのは「またクラゲに刺された」というボヤキだが、その名が似合うフォームはこうして生まれた。投手と打者の距離感を自在に操る伊良部独自の投球術だった。
高松で牛島に頭を下げた時、1勝5敗だった伊良部が8勝7敗でシーズンを終える。牛島に助言を仰いでから近鉄・野茂に投げ勝つなど破竹の7連勝を飾ったのだ。そして翌94年、15勝を挙げ最多勝に輝く。伊良部は土壇場でプライドを捨て、勝てる投手への扉を開いたのだ。
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