「日本人女性」が遭遇した奇怪で詐欺のような「国際結婚」の悲劇について
再び取材合戦に火がついて、ブエノスアイレスへ
新妻の浮気を疑ったガリチオが、探偵に道子の素行調査を命じていたのである。
探偵を雇っておきながら、約束していた実家への仕送りはあっさりと反古にされた。
事ここに至って道子はある疑いを抱く。ガリチオはケチなのではないか、と。こんなことでは「全額贈る」と豪語していた遺産ももらえないのではないか、とも。
〈ガリチオ氏は年齢が違うためか、たいへん嫉妬深く、新婚旅行中も、新婦を船室に閉じこめたままだった〉
年明けの1月4日、AFP通信がそんな記事を配信したことから再び取材合戦に火がつく。本誌も早速、現地に取材をかけた。
その結果――ブエノスアイレス北方に広大なパンパ(草原)を持つエスタンチェロ(牧場主)を自称していたホセ・ガリチオ、実は単なるチャカレ口(小百姓)であることが判明したのである。従って、ここからはガリチオではなくチャカレロと呼ぶことにする。
〈その病的なシット心は彼特有のものだった。道子さんは狭いキャビンに閉じ込められ食事はサロンでとらせず船室持ち込み、また、トイレに行くにも道子さんの手を引いて同伴したという。「十二月五日に帰国するまでデッキに立って青空をながめたのは二、三回だけでした」〉
〈また極端なケチンボであることも彼の性格の一つ、道子さんの唯一の条件だった母親あての月五万円送金は全く実行されていない。愛妻への洋服新調はおろか「いままで日本で着ていた洋服を全部送ってもらえ」と逆に催促する始末〉
東京中日新聞が報じた赤裸々な中身
〈恐ろしいほどの嫉妬と吝嗇ぶりに加え、このチャカレロ、御年76のだというのに、〈肉体的には二十代という特異体質で“好色じいさん”と現地でも後ろ指を差されるほどの人物。その夫婦生活は日本女性には耐えられないものだった。現地では「馬のように働いて小金がたまったため、日本で自由になる女を買いに行った」と噂されていた〉
いま流行りの「人権」などを気にしていたら、とても書けないような記事だが、一番凄かったのは東京中日新聞だ。
〈軽率だった道子さん まんまと変態男のエサに?〉
年明けの34年1月8日、同紙は、そんな見出しで道子の悲惨な新婚生活を報じた。
〈道子さんはリッチモンド・ホテルに閉じこもったきりで、弁護士を立てて離婚請求を行っている。そのおもな理由はガリチオ氏が極端なけちんぼであること、また同氏が変態的で妻として耐えられないことなどをあげている。(中略)家などもひどいもので都会生活に慣れたものには住めないという。従って本人の教養の低さも道子さんにあいそをつかされた大きな原因である〉
結局、結婚は3カ月で破綻。帰国した道子は、独身のまま、福岡市の自宅で英語を教えるなどしていたが、平成6年10月、自宅前から3メートル下の道路に転落して死亡した。
近所の人の話。
「家の境界線がどうのと文句を言い、配達にもいちいちケチをつけるから郵便配達も近寄りたがらなかった。お隣さんなどはとうとう家を出て行ってしまったほどです。とにかく文句が多い人でした」
元を正せば、全ては人騒がせなチャカレロのせいだが、それにしても新聞も雑誌も、ついでにチャカレロも元気だった時代が懐かしい。
(敬称略)
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