タイの反政府・王室改革運動 19日に大規模な集会、クーデターの可能性は…
現在、反政府運動がかつてない規模で展開されているタイ。日本タイ学会会長などを歴任した浅見靖仁・法政大教授(60)=タイ政治研究=は、昨年4月に日本記者クラブで開かれた会見で「ピンチ(窮地)に陥る」とタイの今後を語っていた。総選挙後の不安定な政権運営を“予見”していたのだ。
運動の中心は学生ら若者たち。彼らの批判の矛先は、数々の奇行で知られる国家元首であるラーマ10世ことワチラロンコン国王にも向けられている(詳しくは「コロナ禍で愛人と“おこもり”したタイ国王 国民は前代未聞の王室批判を展開」を参照)。9月19日には5万人超の大規模集会が予定されており、24日には国王が滞在先のドイツから一時帰国する。「今後、首相の辞任や軍事クーデターの可能性もある」と明言する浅見教授に、東南アジア情勢に詳しいジャーナリストの末永恵氏が取材した。
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――今回の運動の主役は、米国などでも台頭する1995~2009年生まれの「Z世代」です。彼らは、何を許せないと思っているのでしょう。
「一概には言えませんが、『いつも偉そうにしている大人たちが、保身のために、その愚行に口をつぐんでいることに腹を立てている』のだと思います。元陸軍司令官のプラユット首相はこれまで“正義感が強く即断実行できる指導者”というイメージを作り上げようとしてきましたが、その首相も国王には何も言うことができない。これに若者たちは『目下の者にはいばりちらすのに、目上の人には従順にへつらう情けないダメおやじ』だと感じているのです。
さらにそのような首相に対しても、多くの大人は意見できない。ラーマ10世も名君だ、という“嘘”を平気で口にする偽善的な大人たち――両親や学校の先生ら――に対する憤りを多くの若者たちがSNSで表明するようになり“怒っているのは自分だけではない”と知った。それが大きなうねりになっています」
――「前国王は人格者だったのに」という声は、日本でも知られています。
「若者たちの憤りは、前国王のラーマ9世(在位約70年、2016年10月に88歳で崩御)の神格化にも向けられています。ラーマ9世だって完璧な人間ではなく、クーデターや軍政を認めるなど、いろいろな過ちも犯したのに、大人たちはそれについて語ろうとしません。8月10日にタマサート大学で行われた集会で、参加者たちは王政改革に関する「10項目の要求」を掲げました。その訴えは現国王の個人的な問題行動をやめさせるためだけのものではなく、前国王時代から続く、王室のあり方そのものを変えようとするものでした。彼らの要求は“現国王がその座を去れば取り下げる”という性質のものではないのです」
――コロナ禍でタイの今年のGDP(国内総生産)成長率は過去最悪レベルになるとされ、若者を中心とした失業者は1000万人にも達すると予測されています。インドネシアなどと同様、タイは国の富の半分を1%の超富裕層が握るアジアでも突出した格差社会です。コロナがその歪みを深く抉ったことで、こうした反政府運動や王制批判が拡大したと思われますか。裏を返せば、コロナがなければ、こうした動きは大きくならなかったということでしょうか。
「コロナがなくても、反政府、王政改革要求の動きは出てきたでしょう。すでに昨年末から反政府や王政改革要求の声はあって、2月末の段階でもかなり盛り上がっていましたから。ロックダウンが行われた4~6月の間も、反政府集会の開催数は減ったものの、若者たちはSNSで情報を交換していました。その間の国王の振る舞い(『コロナ禍で愛人と“おこもり”したタイ国王 国民は前代未聞の王室批判を展開』を参照)もあり、大人世代に対する憤りは若者の間に急速に広まっていました。
コロナによって、タイ経済は1997年の金融危機の時以上に大きく落ち込み始めました。“国王や現政権に国の舵取りを任せておいたら、自分たちの将来は大変なことになるぞ”という危機感が、若者たちの間に共有されるようになったと思います。結果、ロックダウンが解除されると、ロックダウン前よりも集会参加者は増え、デモも頻繁に行われるようになりました。そういう意味では、コロナによって運動はさらに盛り上がることになったとも言えます」
――そのうねりは、9月19日に頂点に達する可能性もあります。先生が修士号を取得された母校でもあるタマサート大で、14年の軍事クーデター以来となる大規模な反政府・王室改革を求める抗議集会が開催される予定です。主催者見込みでは5万人規模です。9月19日といえば、タクシン政権が打倒された軍事クーデターが06年に起きた日でもあります。同大では8月にも集会が開かれましたが、今回は1976年10月6日の「10月6日事件(血の水曜日事件)」で学生が大量虐殺された時と同じキャンパスで行われるようです。悲劇は繰り返すのでしょうか。
「タープラチャン・キャンパスで開催されるので、たしかに『10月6日事件』を多くの人に想起させます。ただ当時とは社会情勢が大きく異なるので、大規模な流血事件は起きないと私は見ています。76年当時の学生たちは、政府から共産主義者とみなされていました。実際に傾倒していたのはごく一部の学生でしたが……。その1年前の75年に、北ベトナムやカンボジア、ラオスなどタイの近隣諸国が相次いで共産化していたので、当時のタイの上層部やバンコクの中間層は共産主義の脅威を強く感じていたのです。一種のパニック状態が、『血の水曜日』を招いた側面もあります。
しかし現在は、保守派も学生たちに『国賊』のレッテルを貼ることができないでいます。このような状況で大勢の学生を死傷させてしまうと、世論は一気にプラユット政権や軍、さらには国王から離れてしまうでしょう。そうした危険性は首相も軍の幹部も、そしておそらくは国王も理解している。未だに強硬策には出ていないのはそのためです」
――19日の抗議集会をめぐっては「プラユット首相から学生には辛抱強く対応するよう、指示があった」と警察長官が明らかにしています。治安体制も警察下の管理に置き「軍隊は出動しない」と言っていますね。一方、24日には国王が滞在先のドイツからタイに日帰りするという不安要因も……。
「そうですね。集会の開催日から国王の帰国日までは、わずか5日しかありません。万が一、帰国日まで集会が長引いて、気性の激しい国王が抗議運動を目の当たりにしても、果たして“我慢”できるか……。
19日の集会の主催者は『大学のキャンパスを出て、すぐ目の前にある王宮前広場に移動し、翌朝まで集会を続ける』と言っています。しかし翌日の午前中で集会を一旦解散するのか、国王が帰国する24日まで王宮前広場を占拠し続けるのかについては、集会主催者の間でも意見の統一はまだ完全にはできていないようです。強硬派が広場を占拠し続けられるかどうかは、賛同する参加者の数次第でしょう。治安当局内部でも、見方は分かれているようです」
――タイではいくつかの噂が立っているようです。「警察や軍隊が抗議集会を阻止するのではないか」「7、8月と主要閣僚が相次ぎ辞任し、与党内の利権争いや軍上層部との力関係も取り沙汰されているプラユット首相が、いよいよ辞任を迫られるのでは」「軍強硬派によるクーデターが行われるのでは」など。これらの可能性はあるのでしょうか。
「首相の辞任やクーデター説は、最近、地上波のニュース番組も含め、主流派のマスメディアまでもが報じるようになっています。クーデターについては、プラユット首相、プラウィット副首相、ナタポン陸軍大将それぞれに、記者が尋ねた際の模様がYouTubeにアップされています。
会見で『クーデターの噂がありますが?』と聞かれた首相は突然不機嫌になり、質問をした記者に向かって『家に帰れ!』と怒鳴って会見を打ち切ってしまいました。それでも食い下がる記者に、首相は『誰がクーデターを起こすんだ!』と問いただし、記者が『軍隊!』と叫ぶと、『いいかげんなことを言い散らすな!』と叫び、首相官邸を後にしていました。プラユット首相には珍しいことではありませんが、かなり冷静さを失っています。
年内にクーデターがある可能性は10%くらいだと私は考えています。プラユット首相が非常事態宣言か戒厳令を発して集会を阻止する可能性が20%。首相が辞任して、軍人でも国会議員でもない人物が首相に選出され、タイ貢献党の一部も連立与党に加えた『挙国一致内閣』が作られる可能性が20%。プラユット政権がもうしばらく続き、反政府運動、王制改革を求める抗議運動も続く現状維持の可能性が50%。こんなところでしょうか」
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