菅総理の消したい金銭スキャンダル 暴力団系企業から献金で“用心棒”に
戦略家としての顔
ただし、先の小此木代議士の元秘書も藤代氏も、菅氏が「真面目な努力家だった」と口を揃える。
「地道に努力したからこそ、相鉄や京急が菅さんのスポンサーに付き、周囲の反対を押し切って横浜市議選に出馬、当選できたのです」
と、藤代氏が続ける。
「1996年、衆院選出馬が決まった時は菅さんの戦略家としての顔を見ました。当時、対立候補に佐藤謙一郎という新党さきがけの議員がいた。私もその時さきがけにいたので、毎日のように菅さんから電話がかかってくる。選挙に強いサトケンと戦うのを避けるため、『佐藤さんは神奈川1区と2区のどちらになるのか』と。結局佐藤さんが1区に決めた時は私が教えてあげて、菅さんは2区から出ました」
結果は、2位との差が4500票の薄氷の勝利。
「菅さんは何かを決断する時は情報収集を怠らず、緻密に戦略的に進める。菅さんは田中角栄さんと同じ叩き上げの政治家ですが、角栄さんは大胆なタイプ。菅さんはもうとにかく緻密なタイプで、角栄さんとは全然違います」(同)
ここぞという時に「勝負」をかけ、議員秘書から市議、代議士へとコマを進めてきた菅氏は、しかし常にカネの面で「クリーン」だったわけではない。「脛の傷」はあるのだ。
暴力団系企業から献金
その一つは、2007年、第1次安倍内閣で総務相を務めていた時に発覚した「事務所費問題」だ。菅氏の関連政治団体2団体が、菅氏自身が所有する横浜市南区のビルに事務所を置きながら、約2千万円の事務所費を計上していた――というのがコトの経緯だが、本誌(「週刊新潮」)は以前、その後日談を報じている。「事務所費問題報道」があった約3カ月後、問題のビルは、密かに菅氏のタニマチの一人だった在日韓国人のパチンコ業者が経営する会社に売却されていたのである。
菅氏が抱えるもう一つの脛の傷は、東証2部に上場していた不動産会社「スルガコーポレーション」を巡る問題だ。スルガがビルの立ち退きなどを依頼していた山口組系企業「光誉実業」の社長らが弁護士法違反容疑で逮捕されたのは、08年3月。その際、菅氏が代表を務める自民党支部が01年~07年にかけてスルガから計104万円の献金を受けていたことが発覚、新聞などで報じられたのだ。
「スルガは岩田一雄という人物が1972年に横浜市に設立した会社です。一戸建ての建築会社として出発した後、神奈川県で多くの建設工事を請け負うようになりました。スルガは横浜選出の小此木彦三郎代議士とはズブズブの関係で、彦三郎さんの秘書だった菅さんもスルガの岩田社長とは昵懇の仲でした」(横浜市政関係者)
問題なのは、菅氏がスルガから献金を受けていた01年~07年という時期で、
「それはスルガが強引な立ち退きに手を染め、暴力団のフロント企業へと変質した時期と一致するのです」
と、建設業界関係者。
「徐々に経営が悪化したスルガの岩田社長は、02年頃から『不動産ソリューション事業』というものを始めています。これは立ち退き交渉が長引きそうな古いビルなどを激安で買いたたき、権利関係を魔法のように解きほぐして素早くまとめた上で転売し莫大な利益を生み出す、という事業。その『魔法』の実態は、業務委託を受けた山口組系企業『光誉実業』による強引な立ち退き交渉だったというわけです」
スルガは「不動産ソリューション事業」を展開するにあたって、検察OBや警察庁OBを役員として迎え入れ、いわば「用心棒」として起用した。
「スルガが政界における用心棒役を期待したのが、02年に国交大臣政務官に就任して頭角を現し、06年には総務相になる菅さん。スルガは表立って献金することで菅さんの威光を利用するだけでなく、実際に現場でその名前を使っていた、との情報もあります。立ち退き交渉の際、『我々のバックには菅代議士がいる』とほのめかすことがあったというのです」(同)
菅氏がスルガから受け取っていたカネは「用心棒代」だったわけである。
問題発覚当時、菅氏の事務所は新聞で、
「報道されるまで事件をまったく知らなかった」
とコメントしている。が、
「当時、スルガが暴力団と一体となってブラックマネーを分け合っていたことは、不動産業界だけではなく政界でも周知の事実でした。問題が発覚するまでスルガから献金を受け続けたにもかかわらず、『知らなかった』なんてよく言えたものです」(同)
菅氏の事務所に聞くと、
「ご質問の献金についても法令に違反するものではありませんが、道義的観点から全額返金しています」
暴力団と関係の深い企業からの多額の献金。時にそうした危ない橋を渡りながらも、菅氏は一段、また一段、と権力の階段を上ってきたのだ。
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