“ポスト菅”「加藤官房長官」の履歴書…婚約者にフラれ、大蔵省では目立たず
「花の54年組」の室崎勝信から加藤勝信へ
官房長官に就任し、一気に次期首相候補に躍り出たのが加藤勝信氏(64)だ。もともとは室崎姓だった彼がいかにして権力の階段を上り詰めて行ったのか……その履歴を辿る。
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加藤氏は東大経済学部を卒業し、1979(昭和54)年に大蔵省(現在の財務省)に入省した。当時を知る同省関係者によると、
「当時まだ彼は室崎勝信という名前だったんですが、特に目立つことがなくその名が挙がることはなかったですね」
彼の入省年次は「花の54年組」と言われていて、同期から木下康司、香川俊介、田中一穂の3氏が事務次官に上り詰めている。極めて異例のことだ。
「田中さんに関しては次官の器ではないと見るムキが大勢でしたが、安倍晋三首相の秘書官を務めた経験から、下駄をはかせてもらったという評価がもっぱらですね」
「この期はもともと道盛(大四郎)さんと桑原(茂裕)さんとが次官候補のツートップ。いずれにせよ、室崎(=加藤)さんの名前が出ることはありませんでした」
室崎勝信氏は1994年4月から大蔵省時代に農水相秘書官を務めたが、その際の農水相は加藤六月氏だった。
永田町関係者によると、
「加藤六月さんといえば安倍晋三さんの父親、晋太郎さんの番頭として知られた人物です。晋太郎さんが率いた安倍派四天王の1人。六月さんが農水相を務めたのは、わずか2か月で退陣した羽田内閣においてだったのですが……」
「六月さんは長女の康子(こうこ)さんを大蔵官僚と結婚させたがっていました。そこで白羽の矢が立ったのが室崎(=加藤)さんだったということです」
婚約者と別れた後、その妹と結婚して…
「話は順調に進み、2人は婚約したのですが、ある日、康子さんから婚約破棄の申し出があった。それからハーバード大の大学院に留学したのです」
フラれた格好の室崎勝信氏はその後、康子さんの妹と結婚。婿入りして「加藤勝信」となった。
ちなみに加藤康子さんは都市評論家として活躍。内閣官房参与などを歴任し、一般財団法人「産業遺産国民会議」の理事を務めている。
また康子さんは、8県23件の「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を「世界文化遺産」へ登録するにあたり、中心的な役割を担った人物として知られている。
話を戻すと、加藤六月氏の願いだった「大蔵官僚との結婚」も、形は違ったが果たされたことになる。
勝信氏は1995年に大蔵省を退官し、98年から六月氏の秘書に。その年の参院選には無所属で、2000年の衆院選には自民党から出馬するも落選。
「選挙に2度落選してもうダメかと言われたこともありましたが、なんだかんだとサバイブしてきましたね」(先の永田町関係者)
それでも、初当選は2003年まで待たねばならなかった。
2007年の第1時安倍改造内閣で、内閣府大臣政務官に任命。自民党が下野した後、政権を奪還した12年12月に発足した第2次安倍内閣で官房副長官に就任。初代内閣人事局長も務めた。
2015年10月に内閣府特命担当相として初入閣。17年8月から厚労相と新設された働き方担当相、18年10月から自民党総務会長、そして19年9月から再び厚労相と働き方担当相に。
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