「命の選別」という「出生前診断」を巡る悲劇の結末 そして母親は死を選んだ

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「社会的な問題が背景に」

 遺体が発見された翌日、僧侶に枕経を1時間ほど読んでもらった後、5月1日に母親は荼毘に付された。

 だが、車は定義山に置かれたままだったため、「遺族が取りに行ってください」と警察に言われた。救出のためか窓ガラスが割られたその車を、長男は自分で運転して帰ったという。昼間は人目が気になるため、深夜に車を取りに行った。

「明かりがまったくない、こんな真っ暗な闇の中で、母は死んだんだと思いました。ハンドルがベタベタしていて、ひとりでずっと泣いたのかもしれない。お酒も半分残っていて、あけてないワインもあった。車は練炭の燃えた匂いと、酸味がかった匂いがしていました。母が残した吸いかけのタバコを吸って、泣きながら車を運転しました」

 車の窓には、内側からも外側からも練炭の燃焼ガスを逃がさないためにガムテープで目張りがされていた。

 母にとって、目張りは初めてのことではなかった。

 生後間もなく、まだ難病の診断がままならない頃、三男がよく泣くと、「この子も遺伝性難病かもしれない」と心配になった。そうではないようにと願いつつ、だがすぐに泣く敏感な様子に母親は思い悩んでいた。病気を疑いながらも、はっきりと知ることができない苦しみは大きかったという。その時に藁にもすがる気持ちで、部屋中の窓に目張りをした。音に敏感だった三男が少しでも安心していられるよう、外からの音を遮断しようとしたのだ。三男を守ろうとした目張りを、今度は自分の命を絶つために使ってしまった……。

 先ほど私はこう問うた。この母親が望んでいた社会はどういうものだったのか。あるいはそれはこうも言い換えられる。どうしたら彼女は死なずにすんだのか。

 私が生前に彼女から聞いた思いのあらましは次のようなものだった。

 我が子を手にかけようとするほどに母親が追い詰められるのはどうしてかを知ってほしかった。重い遺伝性疾患の可能性をもつ家族が出生前診断を望むことは本当に命の選別なのか。心の準備がどれだけ精神の緊張を和らげ、情報がないことがどれだけ不安であるかを知ってほしかった。そして重い病気の子を家族だけでは抱えきれない時、可能な支援をもっと知りたかった。

 けれども、彼女はそのことを訴え続けるのを諦め、死を選んだ。もちろん同じ難病の子どもを立派に育てている家族がいることも知っていた。それでも、自分のミスで幼い次男を亡くし、また次の子も長くは生きられないという恐怖、子どもへの申し訳なさは消せなかったのだろう。

 長男は言う。

「だけど、弟の病気だけが死の原因だと思ってほしくはありません。もっと大きな社会的な問題が背景にあったのだと思います」

 社会的な問題とは、きれいごとを唱えて現実を直視しない社会のことを指しているように私には思えた。命は大切だという言葉に誰が反論できよう。それは自明のことであるが、その上でもなお、どうしようもない苦しみをもつことだってある。この母親は、その苦しみを背負いきれなかったのかもしれない。

 母は40代半ばで生を閉じたが、三男は寿命と言われていた年を過ぎても生き延び、8月、5歳の誕生日を迎えた。

河合香織(かわいかおり)
ノンフィクション・ライター。 1974年生まれ。障害者の性の問題を扱った 『セックスボランティア』(新潮文庫)がベストセラーに。近著『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』(文藝春秋)で、第50回大宅壮一ノンフィクション賞と第18回新潮ドキュメント賞をダブル受賞した。

週刊新潮 2020年9月10日号掲載

特別読物「『命の選別』という『出生前診断』を巡る悲劇の結末 そして母親は死を選んだ」より

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