文政権「日本不買」ポスター印刷は三菱、唐辛子、パスポート用紙…排除できぬ日本と文化
唐辛子を口にした韓国、鉄道を敷設した日本
南米原産の唐辛子は16世紀、ポルトガル人宣教師が日本に伝えたといわれている。日本では食用として用いられることはなく、観賞用や足袋のつま先に入れて霜焼け止めに使用した。
加藤清正は目潰しや毒薬といった武器と韓国の冬の寒さに備える凍傷予防に使用した。
日本では唐辛子または南蛮胡椒と呼んだが、朝鮮では日本から伝わった辛子の意味で倭芥子(倭辛子)と呼ばれた。
17世紀の本草学者として知られる貝原益軒は、唐辛子を朝鮮から伝わった高麗辛子と書き残しており、食用としての唐辛子は朝鮮から逆輸入されたといわれている。
日本人は安全かどうかわからない唐辛子を口にしなかったが、朝鮮人はいきなり口に入れたらしい。
唐辛子はキムチをはじめとするさまざまな料理に使われ、韓国料理になくてはならない食材となっている。
韓国の鉄道は日本が建設した。
当初、アメリカ人実業家のモールスが鉄道敷設権を取得したが、渋沢栄一が権利を買い取り、1899年9月、仁川港とソウルの鷺梁津を結ぶ鉄道が開通、翌1900年、現在のソウル駅あたりまで延伸した。
日本が敷設した韓国の鉄道は、日韓併合後に朝鮮総督府鉄道となり、総督府は釜山から京城(現ソウル)を通って、中朝国境を流れる鴨緑江の北朝鮮側河岸の新義州に至る路線を完成させた。
朝鮮総督府鉄道を引き継いだ韓国鉄道公社は日本と同じく左側通行だが、ソウル交通公社は右側通行を採用している。
日本は早い段階から自前で自動車を製造したが、自前で作る技術がない後進国は、支援国から輸入した。支援国が右ハンドルなら左側通行、左ハンドルの国は右側通行を採用した。
[3/4ページ]