「アントニオ猪木vs大木金太郎」で反日感情を操った朴正煕大統領

国際 韓国・北朝鮮

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金一とアントニオ猪木は、日韓両国の自尊心と敵愾心の代理者になってせっせと戦った

 これに対して朴正熙政権は、国民総和、一致団結でこれを乗り越えようとして、対北朝鮮、対日関係を利用し、テレビはそのようなプロパガンダのための最高の手段だった。

 国民は金一と猪木の対決を見ながら自然に日本に対する反感と憎悪を育てていったのである。

 金一とアントニオ猪木は、日韓両国の自尊心と敵愾心の代理者になってせっせと戦った。

 二人が対決したのは計38回で、戦績は9勝1敗(28引き分け)で金一の圧倒的な優勢だった。

 後で知ったことだが、金一とアントニオ猪木は格別の間柄だったという。

 金一が新日本プロレスに在籍していた時、猪木が後輩として入門したが、この際に、猪木がブラジル出身だと勘違いした金一は「俺は韓国人で、お前はブラジル人だから一緒に頑張ろう」と言って面倒を見てあげたという。

 金一は、猪木のルームメートであると同時に、猪木のデビュー戦の相手でもあった。

 1974年に開かれた最後の対決で、名勝負の末、共に涙を流しながら抱き合った場面は、今もはっきり覚えている。

 その後、猪木は金一の闘病中にも、多くの後援とともに定期的に訪問して励ましてくれたという。

 先に、「金一とアントニオ猪木は、日韓両国の自尊心と敵愾心の代理者になってせっせと戦った」と書いた。2人がリングを降りてもなお、日韓は闘いを続けている。

 この闘いもいつかは終わるだろう。早く終わらせて一緒に抱き合って笑える時が来ればいいなと思う。本気の闘いにならない内に。

李東原(イ・ドンウォン)
日韓関係史が専門の評論家

週刊新潮WEB取材班編集

2020年9月13日掲載

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