「アントニオ猪木vs大木金太郎」で反日感情を操った朴正煕大統領

国際 韓国・北朝鮮

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民族的な感情を利用した商業的イベントだった

 金一が猪木の技に引っかけられ敗れた時の悔しさ、そして頭から血を流しながら専売特許の一本足頭突きでジャイアント馬場や猪木を倒した時の感激と喜びは、言葉では言い表せなかった。

 このすべてが脚本のあるドラマだったということを私は少し大きくなってから理解した。

 そして、韓国社会で金一と猪木の試合は、プロレスの試合を超えて、民族的な感情を利用した商業的イベントだったということも。

 単に商業的な効果だけを期待すればよかったのだが、当時の韓国国民の大部分はこれを日本と韓国の国家的な自尊心対決と認識した。

 いかなるスポーツの日韓戦も必ず勝たなければならないということは、スポーツを通じた国家間の親善と交流という基本精神を忘却した、止揚すべき強迫観念だ。

 1965年の国交正常化以降、韓国社会の反日感情の形成にスポーツ、とりわけ1970年代のプロレスとサッカーの日韓戦が助長した部分は相当大きい。

 ちなみにスポーツナショナリズムが最高潮に達したのもまた、米ソ冷戦体制がピークに達した1970年代のことである。

 今考えてみれば、韓国の1970年代は、朴正煕の維新独裁とこれに対する抵抗、そして経済開発5ヵ年計画を土台に国家経済が大きく発展した時期だった。

 そして1972年の7・4南北共同声明発表により、しばらく南北の和解ムードが作られたりもしたが、北朝鮮では主席制と主体思想が確立し、1976年には米軍将校を殺害した板門店斧蛮行事件が起き、戦争直前の事態にまで至るなど、南北関係は荒波にもまれた時期でもあった。

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