「アントニオ猪木vs大木金太郎」で反日感情を操った朴正煕大統領

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どの家電製品を所有しているかを挙手で確認する

小学校時代、学期の初めになると、生徒たちの暮らしのレベルを調査していたが、どの家電製品を所有しているかを挙手で確認するという野蛮な方法が動員された。

 この時、教室の中には富に対する羨望の嘆声と貧しさに対する恥ずかしさのため息が交差したりした。

 何という残酷で無神経な方法だったのだろう。私の記憶では、1970年代半ば、「家にテレビがある」と手を挙げた生徒は、確か一クラスで半分もいなかった。ソウルがこんな状況だったから地方や田舎は言うまでもないだろう。

 1970年代の大衆文化はテレビが普及し、日常の文化はもとより、メディアと人間の関係そのものを変えていった。

 この時代、テレビは家族空間の主人公だった。一部知識人たちの専有物だった近代的教養がテレビの普及とともに韓国人の普遍的価値として共有された。

 新聞とラジオに代表される以前のメディアとは、その量と幅、そして即時性の面において比べ物にならなかった。

 維新政権はテレビが持っていたメディアとしてのさまざまな機能に注目した。この時代、テレビを「阿呆箱」と呼んだのは、維新政府の放送掌握による愚民化政策を皮肉った言葉だった。

 韓国初のテレビ放送は1956年5月12日に行われたHLKZ・TVという商業放送であった。その後、1969年になってKBS・MBC・TBCの3大テレビジョン放送網の時代に突入することになった。

 すべてのメディアが政府の強力な統制によって瀕死状態に陥った1970年代の維新時代にも、テレビ放送だけは経済発展を背景に多くの広告収益を上げ、好況を享受してきた。

 1970年10月になってからは、3つの放送局ともに1日3本の連続ドラマを放送するなど、番組改編が頻繁に行われ、放送局間の競争が激しくなった。

 1970年代に入ってから、テレビ局3社は互いに視聴率競争をし、視聴率はそのまま広告収入に直結した。

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