「アントニオ猪木vs大木金太郎」で反日感情を操った朴正煕大統領
演劇、映画などに対する検閲は強化され、劇場には警察官の臨検席
1974年3月のある日、朝の8時を少し過ぎた時、安岩洞(アナムドン)の車道の真ん中で20代の男性が服を脱いで全裸となった。
そのまま青年は200メートルあまりを走って路地に消えた。ソウルの空気が息苦しいといって全裸になってソウルの街を走る。外国のストリーキングに関する新聞報道があってから1週間後のことだった。そして開発と投機熱などで韓国人の欲望がうごめき始めた。
当時は、ウッドストックやビートルズに象徴される急進的な青年文化と抵抗文化が韓国にも一部流入した。
韓国の青年たちもヒッピーのように髪を伸ばしてジーンズを履き、ジョン・レノンとレッド・ツェッペリンを聞いた。
維新政府は、民族の主体性と社会の風紀を正すという名目で、民族主義を強調し、強力な検閲体制を稼動した。
長髪やミニスカートを取りしまった。体制を批判し、美風良俗を害するという理由で歌謡曲と洋楽などの禁止曲を発表し、演劇、映画などに対する検閲が強化された。
劇場には警察官の臨検席が作られた。しかし、そうすればするほど、大衆の抵抗は大きくなるばかりだった。
一方日本では、政治的には1960年代の激しかった左派運動が1970年代に入って求心力を失っていった。赤軍派のような過激な武装闘争は、むしろ大衆の左派勢力に対する反発につながった。
そして、経済的には高度成長期に入り、日本国民は左派社会運動など政治に対する関心よりは個人の生活に集中し始めた時期である。
ロッキード事件など政経癒着と関連した政治的スキャンダルも絶えなかったが、オイルショックを乗り越えて再び世界のトップ国家に躍り出た時期がまさに1970年代だ。韓国はこの時期、すべての面において日本とは比べ物にならないほど、後進国だった。
また、韓国においてテレビの普及と大衆文化の発達、そしてアメリカを中心とする外来文化を主体的かつ能動的に受け入れた時期が1970年代である。
韓国社会の「原型」が作られた1970年代
「サンデーソウル」という週刊誌には、長年にわたる儒教文化の抑圧の中で「サンデー」の遊興を楽しもうとする大衆の「性」と「富」という、当代の張り裂けそうな、鮮やかな欲望が集約され、大きな人気を集めた。
一方、この時期はセマウル運動の「豊かに暮らそう」というスローガンのもとにすべてが従属されねばならなかった、権威主義時代でもあった。
セマウル運動は、いわゆる生産性増大を通じた韓国社会全般の改良運動の性格が強かったが、特に都市の暮らしと中産階級のモデルを農村に波及させた生活改造運動であった。
これにより韓国社会は古い村落共同体および大家族単位の生活から中間層・核家族単位の生活方式に転換し、古くて不便な平屋を壊してマンションを建てて入居した。
1970年代に本格的に普及し始めたアパートは、単に居住形態の変化だけでなく、文化的・象徴的価値を持っているが、それはまさに旧時代との断絶、または拒否を意味する。
このように、現在の韓国人が享受する文化、大衆の感性など、様々な面で韓国社会の「原型」が作られた時期が1970年代である。
成長第一主義、全体主義的兵営文化、労働に対する資本の優位など、今日の韓国社会の構造的問題がこの時期に深く根付いた。
1980年代以降から現在まで、我々は意識的にこの時代を否定しようとしているが、いまだに韓国社会のあちこちで維新時代の影が濃く垂れ込めている。
朴正煕の娘という理由だけで朴槿恵(パク・クネ)氏が大統領になれたというのがこれを反証しているのではないか。
1970年代のテレビ、それは産業化という変化の中心から、韓国人の生活を新たに組織し、関係を作り出した核心的メディアとして登場した。
テレビが普及し始めたとはいえ、ある程度経済的に余裕のある家でなければテレビを所有することはできなかった。
逆に当時、家にテレビがあれば、人に自慢するほどの富の象徴でもあった。
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