「旧華族」の女性たち…民間人との結婚・離婚が大ニュースに
男性しか愛さなかった夫をすてて……
〈昭和三十一年九月二十九日、その日は土曜日であった。(中略)妻直子が最近知りあった高橋という人と、たいへん懇意にしていることをかねて知っていたし、これまでたびたび注意したことはあったが、この日もまた、私はきわめて穏やかな態度で、しかし端的なことばで、妻に注意を促したのである〉
〈ところが彼女は暫くほとんど無表情で聞いていたが、やがて突然「私はここを出て行ってしまう」というのが、その口から出たことばであった。そこで、その意味を確かめたところ、離婚の意であることを知って私は実に愕然とした。青天の霹靂以上の驚きであった〉(『私の自叙伝」閑院純仁著』
妹もそうなら、妻もまたアプレだったのである。
〈彼女はいった。「自分は高橋によって、心の扉がひらかれた。自分は今まで盲目であった。これからは真の人生を歩きたい」と。また「地位や名誉は所詮意味のないものだ。自分はいっさいを投げすてて、ひたすら人生の幸福を求める。どうか一生に一度のわがままを許してくれ」と〉
〈私は答えた。「今お前は心の病気をしているのだ。(中略)私は離婚は絶対しない。お前は私の心の妻であれば、それでよいのだ」と〉
閑院邸を飛び出し、千葉市弁天町の高橋家で同居生活を始めた直子は、頑として離婚に応じようとしない純仁に対し、34年、家裁に離婚の調停を申し立てる。
さて、ここに『女性自身』の古い記事がある。
〈男性しか愛さなかった夫をすてて……元閑院宮直子さん〉(44年11月29日号)
直子は、この高邁な雑誌に閨房の秘密をブチまけている。
宮さまは兵隊といっしょに寝室へ入って来るのです
〈宮さまが生理的に異常だとハッキリ気づいたのは、満州へ渡ってからでした。(中略)私たちの寝室にはシングルベッドがふたつありました。酔ったときは、宮さまは兵隊といっしょに寝室へ入って来るのです。宮さまは、その兵隊を自分のベッドに入れてふたり並んで寝るわけです〉
〈私は別のもう一つのベッドの中です……何をしているのかよくわかりませんが、互いに抱きあっていたようでした……そうして、ベッドルームに入って来た兵隊は4、5人だったでしょうか?〉
〈これがもし、女のひとなら私もヤキモチを焼いたことでしょうけど……もちろん、宮さまはお風呂もほとんど兵隊といっしょでした……あんなに兵隊をかわいがるなら、なぜ、妻の私を、と考えたことが何度もありました。……でも口に出してはいえませんでしたの〉
さらに、戦後の新生活に軍隊のゲイ仲間が入り込んできて、純仁と一緒に風呂に入ったりしていたというのである。
生涯の伴侶となった高橋尚民も、「宮様は女性を必要としない体で、西口とは特別な関係にあるということは当時、周知の事実でした」と主張。
これに対し、直子が他界した平成3年、西口は本誌に、
「確かに殿下と直子さんの間に、接触はあまりなかったようです。しかし、その理由は殿下が病気だったからです。病気というのはいわゆる性病のことで、軍隊にいる時にうつされたようです。直子さんを愛すればこそ殿下が接触しないのだと、直子さんからお聞きしたこともあります」
と苦しい弁明。さらに、その4年後には、
「宮様にはご落胤がいる。私が知っている限りで4人います」とも主張。
「仮にご落胤がいたとしても、名乗り出る者もないまま、昭和63年の純仁の死とともに、名門閑院家は7代で途絶えることになった。(敬称略)
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