「菅官房長官」総裁選で“独走”の理由 麻生副総理に送った「メッセージ」とは
「横浜のドン」と密会
安倍総理が退陣を考えていることを、いつ菅氏が察知したかは定かではない。ただし、8月17日に続いて安倍総理が慶応病院に入った24日、菅官房長官は極めて興味深い行動に出ている。その日、彼は密かに、大恩ある人物との手打ちを果たしていたのである。
その人物とは、横浜にある港湾荷役業「藤木企業」会長の藤木幸夫氏。地元企業の役員も多数兼務する「横浜のドン」は、8月18日に90歳の誕生日を迎えたばかりである。
菅氏が横浜市議だった時代から選挙の支援をしてきたのが藤木氏。菅氏が藤木氏のことを「会長」と呼んで平伏する関係は長らく続いたが、横浜が誘致を目指すカジノに藤木氏が猛反対したことからすきま風が吹きだしたのは3年ほど前のこと。昨年、本誌の取材に応じた藤木氏は菅氏のことを「権力ボケ」「安倍の腰巾着」とコキおろしていた。
「8月24日、菅さんは藤木企業の会長室で藤木会長と会っています。当日朝、急に菅さん側からアポが入り、午後の早い時間に会った。二人が会ってきちんと話したのはおよそ3年ぶりです。前回会って以降、大勢の人がいる場所で顔を合わせることはあったものの、きちんと話をすることは一度もありませんでした」(藤木企業関係者)
気になるのは二人の会話の内容だが、
「それは分かりません。藤木会長は菅さんと会ったことについて余計なことは口にしないのです。菅さん側も『誕生日を祝いに行った』といった話をするだけのようです。ただ、このタイミングで藤木会長を訪ねてきたのは、総理になろうがなるまいが、今後の政局に備えて、自身の足元を固める必要があったから、としか考えられません」(同)
「ひとつの革命」
3年ぶりの会談で一体何が話し合われたのか。8月31日朝、自宅から出てきた藤木会長に聞いた。
――3年ぶりに会った?
「あっちが言ってきたから。でもお互いの気持ちだけは年中ツーカーだったから」
――菅さんが総理候補と言われているが?
「もう決まりだもん。あの人は叩き上げの人だからね。日本では、世襲的な政治家と苦労して叩き上げた政治家と、真っ二つに分かれている。私は二階さんとは一応、兄弟分になっているから、いつでもどんな連絡でもするけど、よくあんなお坊ちゃんみたいな家の人の面倒を見ているなと。世襲の最たるものが安倍であり、反対側の最たるものが菅くんだからな」
――苦労人である菅さんが日本のトップになろうとしている。
「菅がね、日本のトップの座を射止めたことは、これはもう、ひとつの革命じゃないですか」
――去年の本誌のインタビューでは「(菅氏は)安倍の腰巾着」と言っていたが?
「いまでも腰巾着ですよ。腰巾着ってのは、すごい褒め言葉なんですよ。腰の巾着だよ。旅に出る時に持っていくんだよ。腰巾着が無くなったら旅は中止だよ」
――大事な存在、と。
「もちろん。腰巾着になれないんだよ、普通は」
――菅さんとはどんな話をしたのか?
「それは、(国会議員の秘書時代は)苦労したよなぁ、あいつがいたし、お前の上でうるさい秘書がいっぱいいたなぁ、と。いろんなヤツがいたけど君は最後まで我慢して、苦労したよなぁって。そういう話をする雰囲気になっちゃうんだよ。ヤツと二人でいるとね」
終始にこやかな表情で取材に応じた藤木会長。面倒を見てきた菅氏がついに総理大臣の座に手をかけたという喜びが言葉の端々から感じられた。
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