在宅介護者は泊まりの出張に出ることができるのか──在宅で妻を介護するということ(第8回)
朝起きたら、脚に力が入らない
それは「在宅」を始めて1カ月経った、1月中旬の朝のこと。いつものようにトイレに行って便器に腰かけたのはいいが、そこから立ち上がることができない。脚に力が入らないというか、筋肉に脳の指令が伝わらないのである。
揃えていた両足を前後に置き変え、両手を壁に伸ばして突っかえ棒のようにして立ち上がろうとしたが、踏ん張る力がないので用をなさない。ヘナヘナと崩れ落ちてしまった。一体何が起きたのだろうか。もちろん初めての経験で、トイレに腰かけたまましばし考えこんでしまった。
昨日は何もなかった。激しい運動をしたわけでもないし、転んで足にケガをした覚えもない。考えられるのは痛風だ。7年ほど前、仙台に取材に行った折、名物の牛タンをたらふく食べて以来痛風持ちとなった。しかし、カカトや足首に腫れがなく痛みもないので明らかに違う。
わけがわからないまま、その場は結局トイレの床にへたり込み、布団が敷いてあるリビングまで3mほどの距離を匍匐前進で戻った。隣の部屋からは女房の寝息が聞こえてくる。このままではおむつ交換も、食事代わりの栄養剤をあげることもできないと思った瞬間、事態の深刻さに始めて気付いた。「老々介護、共倒れ」と言う言葉が頭をかすめた。
本当は生活習慣病のデパートだった
「自分が先に逝ったらどうしよう」──順調な介護の日々を送りつつ、どうしてもこの不安からフリーになることはできない。私に万一のことがあった場合、例えば取材の途中でトンネル事故などにあった場合、発見されるまでの数日間女房は命をつなぐことができるだろうか。
そんなことをつい考えてしまう。自分の死=女房の死。だからこそ介護者は健康に留意し、つねに介護ができる気力・体力を維持しておかねばならないのだ。
布団にたどりついた私は、気を取り直して予期せぬ事態の分析に努めた。
軽い脳梗塞を起こしたのではなかろうか。遺伝性の「高血圧症」というやつで、かれこれ30年間絶やさず降圧剤を飲み続けている。おかげで倒れたことはないが、今も血圧は平均160-100レベル。酒が続いたり仕事に根を詰めすぎたりすると、上は220を超える。かかりつけ医曰く「私の看ている患者の中ではあなたが一番」なのだそうだ。
ただ、血圧が高いときの頭の膨張感や息苦しさはない。頭もハッキリしているのでたぶん血圧ではないだろう。となると、糖尿病に由来するものか。日課となった妻の血糖値測定。ある日自分もと測ってみると、食後だったこともあり数値は女房超えの360もあった。医者に聞くと「立派な糖尿病」ということで、その日のうちに血糖値を下げるクスリが処方された。ということは、クスリの飲み過ぎによる低血糖の可能性もあるかも……。
ほかにも、関連性はないと思われるが重度の「無呼吸症候群」がある。夜中に30秒近く呼吸が止まり、苦しくなって飛び起きたら女房が不思議そうな顔でのぞき込んでいたなんてことがよくあった。ついでに言うと、クスリが全く効かないので放置している「前立腺肥大」があり、腎臓の機能も少々弱っているとか。
「どこが“ひとまず健康”なんだ。オマエは生活習慣病のデパートじゃないか」と、思わず自分に突っ込みを入れてしまった。無免許運転と同じではないか。“在宅の申し子”に至っては笑止千万。第一要件すら満たしていない自分のいい加減さをひたすら恥じた。
3日ほど様子をみた。時間が経つうちに左足にはある程度力が入り、おむつ交換や栄養剤のセッティングも時間をかければできるようになった。ひと安心である。だが、“ピサの斜塔”のように上半身を15度前後傾斜させて歩く私を見た訪問看護師に、専門医の受診を強く迫られてしまった。
どこで診てもらおうか。足に力が入らなくなる病気を検索したところ、腰部脊柱管狭窄症(脊柱管が狭くなって神経が圧迫され手足にしびれなどが発生する。高齢者の10人に1人がなる)が自分の症状に似ていた。「歩くのはつらいが自転車に乗れる」「前かがみになったり、座るとラクになる」といった特徴がピッタリだ。
てっきりそう思い、形成外科のある千葉市の病院でMRIを撮って調べてもらったところ、「腰部脊柱管狭窄症ならばもっとしびれがある」というのだ。で、診断結果は「カリウムの欠乏」。体内の栄養バランスの崩れが原因だった。実際、カリウムの錠剤を飲み始めるとすぐに足に力が伝わるようになり、その後、今日まで同じ症状は出ていない。
この“ピサの斜塔事件”以来、私はより意識的に身体のメンテナンスに留意するようになった。訪問看護師さんは、「ご主人、知らず知らずのうちに頑張り過ぎているんですよ」と言ってくださった。
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