日本の「農産物・食文化の発信」安倍首相の評価されるべき「饗宴外交」スタイル

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 この7年8カ月の安倍政権を特徴づけるものに、活発な首脳外交がある。地球儀を俯瞰した外遊は81回を数え、訪れた国・地域は延べ176カ国。逆に、日本に迎えた外国首脳の数も半端でないが、特におもてなしの饗宴外交で、1つのスタイルを確立したことはもっと知られていい。

興味深いどんぶりもの

 安倍第2次政権が発足して以降(2012年12月~)、安倍晋三首相が外国首脳を歓迎する晩餐会(または午餐会)をもった回数は、ざっと209回。

 その209回目の最後の晩餐会は、横浜港に停泊中のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」内で新型コロナウイルスの集団感染が起き、日本中が浮足立っていた今年2月10日。賓客はエストニアのユリ・ラタス首相だった。

 バルト3国の1つであり、IT(情報技術)先進国で知られるエストニアには、安倍首相が同国の独立100年にあたる2018年1月に、日本の首相として初めて訪問している。これを機に、経済やIT技術での協力を中心に両国関係が拡大。今度はラタス首相が18社の経済ミッションを引き連れて来日した。

 首相官邸での儀仗などの歓迎式典のあと、首脳会談が行われた。会談には日本側から萩生田光一文部科学大臣などが、エストニア側からはマリス・レプス教育科学大臣のほか、元大関の把瑠都で、いまは国会議員としてエストニア・日本友好議員連盟会長を務めるカイド・ホーヴェルソン氏も同席した。

 エストニアは情報通信技術(ICT)で世界最先端を走っており、この分野で両国企業間の協力が進んでいることを安倍首相は歓迎し、サイバー・安全保障分野での一層の協力強化に期待を表明した。ラタス首相も、

 「ICTやサイバー分野は日本と真の協力が進められる分野で、様々な経験を共有できると考えている」

 と述べた。両首脳は国際場裡での協力についても意見交換し、ラタス首相は国連改革で日本の常任理事国入りを支持すると明言した。また、人権・民主主義・法の支配などの価値の重要さでも一致した。

 共同記者発表を終えた安倍首相は、ラタス首相を歓迎晩餐会が行われる官邸の広間へと案内した。この夜のメニューである。

先付 九条葱と新取菜の煮浸し、あさつきと北寄貝酢味噌和え、鶏笹身と根三つ葉山葵和え、鮑と大豆、胡麻豆腐 白魚 水前寺海苔、子持ち昆布 若布 筍 防風 生姜酢
御造り 鮪 鯛 鰤 烏賊 牡丹海老
焼物 和牛ひれ肉網焼 ブロッコリー 牛蒡 厚揚げ パプリカ 和風たれ
食事 海老かき揚げ天丼 留椀 香の物
果物 果物盛合わせ

アイ・ヴァインズ 甲州 2017
ドメーヌ ルバイヤート 2010
清酒 夢心 純米大吟醸(福島県)

 和食と日本ワイン、日本酒のもてなしは、安倍政権が確立した饗宴外交のスタイルである。

 メニューを一瞥して気付くのは、肉料理は事実上、〈焼物〉の和牛の網焼きだけで、他はほとんど魚介類だ。官邸は事前に好き嫌いを駐日エストニア大使館に打診しているから、ラタス首相は魚介が好きなのだろう。

 様々な小皿料理を盛った〈先付〉、刺身の盛り合わせの〈御造り〉、そして目を引くのが、〈食事〉の「海老かき揚げ天丼」だ。洗練したスタイルで出されただろうが、外交饗宴でどんぶりものが出されるのも興味深い。

 ちなみに1月21日、ポーランドのマテウシュ・モラヴィエツキ首相の歓迎晩餐会でも、「野菜かき揚げ天丼」が出されている。どんぶりものが日本の食文化でもあることを示す狙いかもしれない。

 白ワインの〈アイ・ヴァインズ 甲州〉は、農業生産法人アイ・ヴァインズが栽培した甲州種のブドウを使って、シャトー酒折ワイナリー(甲府市)が醸造した。果実味を生かしたシンプルな味わいは、先付と御造りに合ったと思われる。

 赤の〈ドメーヌ ルバイヤート〉は丸藤葡萄酒工業(甲州市)のフラグシップ・ワイン。プティヴェルド、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルローの3種類のブドウから造られ、熟した果実やスパイス香があり、やや重め。和牛ひれ肉との相性を考えた選択だ。

日本文化のショーウィンドウ

 安倍政権の“収支決算”をめぐって議論がかまびすしいが、こと饗宴外交に関しては評価されてしかるべきだ。

 その特色は、まずもって饗宴の多さである。第2次政権発足後、最初にもたれた饗宴は2013年3月14日、スリランカのゴタバヤ・ラジャパクサ大統領の歓迎晩餐会だった。それからエストニアのラタス首相まで209回。7年8カ月の在任中、1カ月平均2.2回の晩餐会をもってきた計算だ。

 その前の野田佳彦政権(2011年9月~12年12月)は、1カ月平均1.6回。菅直人政権(2010年6月~2011年9月)は1.3回。安倍首相は群を抜いている。

 長期政権によって日本が存在感を高め、来日する外国の首脳が増えたこともある。ただもう1つ、「来日した外国の首脳は、できるだけ饗宴で接遇する」との、安倍首相のポリシーがあった。

 「外国の首脳を大切にすることが、ひいては国際場裡における日本の立場と発言力を高める」

 との考えがそこにある。

 歴代の首相の中には、来日した賓客が首相クラスでも、会談をした後は、多忙を理由に接遇をしなかったり、外相に任せたりするケースが結構あった。

 ただ回数の多さもさりながら、首相官邸の晩餐会を政治・経済・文化などの脈絡の中に、明確に位置付けたことが安倍政権の饗宴外交の最大の特色であったと言っていい。誤解を恐れずに言うなら、それまで晩餐会は、首脳会談の後の“付け足し”ほどにしか考えられていなかった。それを安倍政権は、日本の農産物・食品の宣伝と輸出の機会、さらには日本のよきイメージ発信のチャンスと捉え、首相官邸の晩餐会をある意味、日本の食文化のショーウィンドウとして活用した。

 この点において国内総生産(GDP)の拡大や雇用の増大、地方創生といった広い意味でのアベノミクスと底流では結びついていたと言っても間違いではないだろう。

 安倍首相は就任して間もなく、

 「世界のトップに日本の農産物や食品の素晴らしさを知ってもらう機会になるから」

 と、外国の首脳をもてなす晩餐会のメニューを和食にし、合わせてワインも日本ワインとするよう指示した。長年、首相官邸はフランス料理にフランスワインを出しておけばよし、とするところがあった。

 しかし、農業団体の反対を押し切って環太平洋パートナーシップ(TPP)協定の交渉入りに踏み出した安倍首相にとって、農業のテコ入れと農産物輸出の促進は焦眉の急で、官邸のもてなしを和食としたのは当然の成り行きでもあった。

 2013年12月の国連教育科学文化機関(ユネスコ)による和食の無形文化遺産登録も、安倍首相には追い風となった。これによって、すでに世界的なブームになっていた日本食に改めて国際社会の焦点が当たり、関心を高めることになったからだ。

 官邸は来日する首脳の好き嫌いの情報を事前に駐日大使館を通じてとるが、「和食」を要望するケースがほとんどだ。自国で和食を食べ慣れている首脳が少なくないのだろうが、無形文化遺産登録が和食に対する興味を掻き立てたことも間違いないと思われる。

 「日本の首相官邸で本場の和食が味わえる」

 と、楽しみにしている外国の首脳もいるはずだ。

 2014年3月に来日したデンマークのヘレ・トーニング=シュミット首相(当時。女性)は晩餐会で出される料理のひと皿ごとに、

 「素晴らしい」

 「彩りも素敵」

 と大喜びで、本国にいる娘に見せるためにとスマホで何枚も写真に収めた。

 安倍首相も食事中、

 「日本が世界トップレベルの長寿国である秘訣は、食事と医療レベルの高さだ。日本の食事は海産物や野菜を食材に使い、栄養バランスが良い上に低カロリーだ」

 と和食を売り込んできた。

 農産物をPRし、輸出に繋げる工夫もされてきた。先のラタス首相のメニューもそうだが、官邸では最後はお菓子のデザートではなく、果物の盛合わせが出る。いまならブドウ、ナシ、モモなど、その季節の果物だ。これは農水省が全国の農協から情報を募り、料理を準備するホテルに伝えている。

 晩餐会では出席者のテーブルの前に二つ折りのメニューが置かれ、その中にその日に出される果物のカラー写真のついたカードが差し挟まれている。カードの表には果物の説明と産地が、裏には輸入する場合の問い合わせ先となる「日本貿易振興機構(JETRO)」の連絡先が英語と日本語で記されている。

 このアイデアを考えたのは長谷川榮一前首相補佐官(政策企画担当兼内閣広報官)だ。

 「食は日本のソフトパワーであり、日本に魅力を感じてもらう上で欠かせません。農産物を海外に広めようという政策も別途あり、始めたのは2014年1月からです。
外国の首脳が『これは美味しい』と言うと影響は大きく、フルーツはそうしたインパクトがあります。またフルーツだとイスラム教の禁忌に触れないハラルかどうかといった問題もありません」

 と以前、取材した時に語っている。

招くのも多様な分野の人々

 招待者の幅を広げるようになったのも安倍政権からだ。それまでは大企業のトップに偏りがちだったが、安倍政権になって地方の中小企業の社長や姉妹都市関係の自治体の知事や首長を意識的に招くようになり、文化やスポーツ、福祉などの分野にも広げてきた。

 先のラタス首相の時は、NHK交響楽団の首席指揮者であるエストニア出身のパーヴォ・ヤルヴィ氏が招かれた。ドナルド・トランプ米大統領の来日の時(2017年11月)はインディ500(インディアナポリス500マイルレース)で優勝した佐藤琢磨氏、マイク・ペンス米副大統領の来日の時(18年2月)は、インディ500に出場経験のある男女2人のレーサーが招待されている。

 フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領の時(2016年10月)は、女性福祉介護士など日本で働く3人のフィリピン出身者が招かれている。

 晩餐会の招待者の幅を広げたことは、両国関係が政治、経済の一握りの人だけでなく、多様な分野の人々に支えられており、官邸がそういう人たちを招くことで報いていると示すことになったのではないか、と私は思う。

 ただ残念なことは、東京都内のホテルが持ち回りで官邸の晩餐会料理を請け負っていて、官邸専属の料理人がいないことだ。米ホワイトハウスにも、仏エリゼ宮にも、英バッキンガム宮殿にも、専属のお抱え料理人がいる。

 安倍首相のように頻繁に晩餐会があるなら、専属料理人を置いても無駄にはならないし、「これぞ日本の首相官邸の料理」というものを示すことになったのではないか。個人的には今後、そうなることに期待したい。

 ところでラタス首相の歓迎晩餐会に話を戻すと、安倍首相は食事の始まる前、歓迎スピーチでユーモアを交えた話をしたが、その中で3回「引退」という言葉を使った。

 エストニアでは、同国に居住していない外国人でも「電子居住権」(e-Residency)を持つことができ、同国を拠点とした商売に携わることができる。これに触れながら安倍首相はこう述べた。

 「(エストニアを訪問した)一昨年でありますが、私が政治家を引退したら、このe-Residencyを使って、エストニアのおいしいチョコレートを日本に輸入するということをお話しさせていただきました。

 私はまだ引退しておりませんが、いつかその日が来たら日EU(欧州連合)・EPA(経済連携協定)もすでに発効しておりますし、エストニアのチョコレートや蜂蜜も(輸入するのに)いいなと、こう思って、このカード(電子居住権カード)を見たんですが、この有効性がすでに失効しておりまして、またこれを引退の日にさらに更新したいとこう思っています」

 招待者から笑いが起きた。

 安倍首相は両国関係の今後の発展を祈って、ラタス首相とともに福島の清酒の杯を上げ、招待者らもそれに倣った。半年後に引退すること、そしてこれが引退前の最後の晩餐会になるとは、当然ながら本人は知る由もなかった。
 

Foresight 2020年9月8日掲載

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