「朝鮮が滅びたのは日本のせいではない」…屈辱の原因と過程に学べない文政権

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官僚の無能と不正腐敗ですでに救済不能に陥っていた大韓帝国末期

 一国の浮沈を簡単に語ることはできない。しかし、韓国の歴史の授業時間では、1392年来、大韓帝国時代も含めて519年間続いた朝鮮が滅びた理由を簡単に整理してしまう。朝鮮が滅びた理由は、「朝鮮内部の問題と朝鮮半島をめぐる外国勢力の侵奪によるものだ」と。言い換えれば、内外の様々な理由が複合的に作用し、結局、亡国の道に入ったというのだが、国が滅びた決定的な原因は、日本の武力侵奪による強制併合にあると教えているわけだが、日韓関係史が専門の評論家・李東原氏は「それは事実ではない。朝鮮が滅びたのは日本のせいではない」「文在寅政府の誤った判断と無能は歴史に何一つ学んでいない」と説くのだった。

 朝鮮は結果的に日本によって併合されたのは間違いない。

 しかし朝鮮はその頃すでに、自ら存立できる能力を失った救済不能の国だった。

 朝鮮が滅びた理由は官僚の無能と不正腐敗のためであって、日本の侵奪のためではなかったのである。

 むしろ日本がいなかったら、朝鮮はもっと早く民乱、または西欧列強の武力によって敗亡する確率が非常に高かった国だった。結果的に、日本のおかげで数十年間、その命を延長することができたのだ。

 朝鮮王朝を支える基本哲学は性理学だった。

 性理学は「性命義理の学問」を略した言葉で、中国宋の朱熹が孔子と孟子の儒教思想を「性理・義理・理気」などの形而上学体系で解釈して集大成したものである。

 朝鮮の儒学者は、道教と仏教が実のない空虚な教説を主張するとし、この性理学を朝鮮の統治理念とした。

 朝鮮王朝初期の性理学は、王朝の統治哲学としては都合がよかったものの、次第に官僚など支配者階層を指す両班(ヤンバン)の利益を代弁し、大衆を包容する精神が希薄になり、実務よりは虚礼にこだわる傾向に流れるにつれ、社会を統制する統治理念としての機能を失うようになった。

 性理学的世界観で武装した「士大夫」をはじめとする両班階級は、中央だけでなく郷村でも実質的支配者として君臨し、一般の民を搾取する存在であった。

驚天動地の中国の敗北から親ロシア政策へ

 王の外戚という地位を利用した安東金氏(あんとうきんし)の60年に亘る勢道政治(1800-1863)。高宗(コジョン)の正妃で、その後を継いだ驪興閔氏(れいこうびんし)一族の売官売職と良民に対する搾取。

 特にこれらが、朝鮮の官僚システムを根こそぎ壊した。

 能力のある人材を選出する科挙制度は無力化し、中央の権勢家たちは金をもらって官職を売ることが日常茶飯事であったため、金で官職を買った人間たちは元金を取るために民を搾取し、その結果、全国的に民乱が絶えなかった。

 1894年甲午年、古阜郡守趙炳甲(チョ・ビョンガプ)の貪虐に耐えかねた農民たちが蜂起した。

 東学農民軍は湖南地域を拠点に、瞬く間に全国にその勢力を拡大した。当時、国政は無能な上に残酷ですらある閔妃と、彼女の一族によって徹底的に籠絡されていた。

 しかも自らの力で、東学軍を鎮圧できなかった朝廷は、主国・清に鎮圧軍派兵を要請。

 清の軍隊が出兵すると、1884年の甲申政変後、日清間で締結された天津条約により、日本も自国民を保護するため、朝鮮に軍隊を派遣した。これを機に、清国と日本が朝鮮の地と海で一戦を交えた。日清戦争である。

 この戦争での中国の敗北は、朝鮮の識者層に大きな精神的衝撃を与えた。これは、東アジア地域で千年以上続いてきた、中国中心の世界観が崩壊する、まさに驚天動地する出来事だった。

 これまで、ロシア、日本、フランス、米国などが朝鮮で利権を争い、朝廷を圧迫することが頻繁にあったにもかかわらず、自ら独立できず自強できなかった朝鮮は、中国に寄りすがり、辛うじて体面を維持していた。

 しかし、19世紀末、中国の没落と急激に変化する東アジアの秩序の中で、中国につくか、日本につくか、右往左往していた閔妃とその一族は、結局、中国でも日本でもない、ロシアにへばりつくことにして、親ロシア政策を展開し始める。

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