「加山雄三」の母、「板東英二」の妻も…民間に流出した「旧華族」の血
“おもうさま”“おたあさま”、人を数えるのも“おふたかた”“おみかた”
「華族もへったくれもないよ。フトコロがさびしかったら、しょうがねえじゃねえか。“ざあます”なんてのは、おれは嫌いだよ。“べらぼうめえ”でも、物持ってた方がいいに決まってるよ。おれは元宮内次官の白根さんという人と親しかったんだ。その自根さんが世話してくれたんだ。昭和25年ぐらいかな、結婚したのは」
――華族の娘さんをもらうのに抵抗は?
「ねえよ。ねえし、それに女なんていくらでもいるじゃねえか。なにも抵抗まであるものなんかもらわなくたって、ぜひもらってくれというものだけをもらえばいいんだから、抵抗なんてねえよ。仕事に女房が役立つなんてこともねえなあ。貴族を喜ぶのはイギリスだろ? アメリカはそんなのないよ。そりゃあ戦後、アメリカを相手に活躍した華族の奥さんもいたろうけど、そんなのは例外だよ。とにかく、“さようでござあます”は、おれは嫌いなんだ」
この時、横で聞いていた英子夫人が、
「それでも、ひょこっと“ごきげんよう”なんて言葉が出てしまうんですよ」
と言いつつ、「慣れるまでの苦労」について語ってくれたのだから、この結婚、案外うまくいってたのかもしれねえな。まあ、人の家のことだから、どうでもいいけどよ。
堀田元伯爵家に近い人物は、こう解説してくれた。
「戦後はもう貴族言葉を使っている家は少なかったんだけれど、堀田君の家へ行くとやっていましたね。朝起きて顔を合わせると、親子で“ごきげんよう”って挨拶してね。“おもうさま”“おたあさま”でしょ。人を数えるのも“おふたかた”“おみかた”という調子。でも、モロに金がなかったんだなあ。堀田家の系譜は佐倉(千葉県)の殿様。兄弟が11人いましたが、堀田姓を継いだのは2人きり。あとはみんな金持ちのところへ養子に行っちゃったんですよ。小佐野さんが堀田家の面倒をみたのは確かですね。“国際興業の方に足を向けちゃ寝られない”と言ってたもの」
黒田稔元男爵の次女洋子のお相手は板東英二
もうお分かりだろう。特権を失った貴族たちは金を、金持ちたちは家柄を求めて、「血の結合」を図ったのである。
似たような例はいくらでも挙げることが出来る。
梅渓(うめたに)通虎元子爵の次女峰子は、かつての読売のドン、正力松太郎の長男亨と結婚したし、3女の保子は華道の家元池坊専永の元へ嫁いだ。
“17代将軍”徳川家正の3女である順子は、三井鉱山参与などを務めた関根勇吉と結婚している。
明治の元勲岩倉具視の子孫は、昭和40年時点で、すでに250人もいた。
そのせいか、「カゴ抜け詐欺」で逮捕された出来損ないまで輩出してしまったが、元勲の曾孫に当る男爵の娘、小桜葉子は俳優の上原謙と結婚。ボカア、シアワセだなあーと歌っている歌手は、従って500円札に刷り込まれていた人物の玄孫ということになる。
スポーツ選手と結婚したのは黒田稔元男爵の次女洋子。お相手は中日ドラゴンズのエースだった板東英二だ。
エースではなかったという説もあるが、TVタレントとしてはエース級といっていいだろう。
明治神宮の宮司を務めた甘露寺受長元伯爵の長女績子(ことこ)は、昭和32年、近藤商事という会社を営む近藤荒樹と結婚。
あまり聞いたことのない会社だが、ナメてはいけない。近藤の息子は池田勇人の長女と結婚、つまり総理大臣の親戚であり、妻を亡くした近藤に元伯爵の娘を紹介したのも池田の妻なのである。
金満家の近藤社長は生前、
「他の縁続きになる華族から経済の話をされると、時々困った気持ちになる」と本誌にこぼしていた。要するに、タカられていたのである。
「そういう身分の方で、“金を貸してくれないか”と、ご相談に見える方もずいぶんあるんですが、どうも話がシャバ離れしてるんですな。貨せといっても、担保があるわけじゃなし、それでいて要る金はデカくて、びっくりするような額を言われます。100万円の担保で1500万貸せって、そんなのは貸借にはならんのでね。利息のことなど何も考えていないわけですからね。そら、そういう話は、結局さしあげるっていうことですな。それでなきゃ収まらん話になるんです」
[2/4ページ]