「加山雄三」の母、「板東英二」の妻も…民間に流出した「旧華族」の血
皇室が一大財閥であることを知らされた国民の間に…
昭和22年、GHQの皇室改革によって11の宮家が皇籍を離脱、華族制度も廃止され、戦前の特権を失った人々は「没落貴族」と評された。その結果、彼らは否応なしに「平民」との自由な「血の交流」を始めることになった。「ごきげんよう族」と呼ばれた人々の戦後は、高貴な血を引く女性たちの解放の歴史でもあったのだが、これを主としてその情熱の面から辿ってみた。
※2001年6月28日号に掲載された記事を再編集したもので、肩書や年齢は当時のママです。
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「虚脱状態」「四等国」「一億総懴悔」「GHQの命により」「タケノコ生活」「浮浪児」「洋モク」「DDT」……。
昭和20年の流行語は、どれも解説を加える必要がないほどに分かりやすい。
その中から、敢えて流行語大賞を選ぶとすれば、
「ギブ・ミー・チョコレート」
やはり、これであろう。
ジープに乗った米兵たちに哀願すれば何かがもらえる。しかし、そのためには多少なりとも英語を覚える必要がある――というわけで、9月半ばに発売された『日米会話手帖』は、3カ月間で360万部も売れた。
1冊80銭の教則本が大増刷を重ねていた10月30日、GHQは皇室の財産を発表し、国民を仰天させた。
それによれば、皇室の財産総額は実に15億9000万円。念が入ったことに、この額には金塊や宝石などは含まれていないと付け加えられた。
皇室が一大財閥であることを知らされた国民の間に、言うに言われぬ感情が渦巻いたのは想像に難くない。
11月18日、皇室財産の凍結指令が出され、12月2日には梨本宮守正王が戦犯として逮捕された。
年明けの21年元日には、天皇による、いわゆる「人間宣言」があり、5月には世田谷の「米よこせ」デモが宮内省食堂を検分するという事態にまで発展する。
日本は天皇を中心とする神の国だったはずなのだが、神をも恐れぬGHQが、宮中改革を企図しているのは誰の目にも明らかであった。
角栄の「刎頸(ふんけい)の友」、小佐野賢治が語る
21年6月18日、東京裁判で、キーナン検事がそう言明したことにより、天皇制は存続することになったが、他の皇族や華族たちの運命はまさに風前の灯であった。
結局、22年5月3日の日本国憲法の施行に伴い、913家の華族はすべて消滅。10月14日には、秩父・高松・三笠の3直宮家を除く11宮家も皇籍を離脱した。
梨本伊都子の自伝には、各宮家がそれまでに受け取っていた歳費の額が記されている。
東久邇宮11万円、久邇宮7万7000円、朝香宮7万1000円、閑院宮5万8000円、梨本宮3万8000円……といった次第で、総理大臣の年俸が1万円余であったことを思えば、これは破格といってよい額であった。
自由だ民主だと草木もなびき、やんごとなき人々は、その特権を失って我々の隣人となったわけだが、その結果はどのようなものだったのか。
22年7月、三笠宮妃の父である高木元子爵が窮乏を苦に自殺を遂げ、華族の没落が話題となったが、落胆している男性陣を尻目に、ここでも活躍したのはやはり女性たちであった。
田中角栄の「刎頸(ふんけい)の友」として知られた国際興業社主の小佐野賢治。
昭和のフィクサーなどと呼ばれたこの人物は、ロッキード事件で国会に喚問されると、「記憶にございません」を連発した。が、旧華族出身の女房のことは自慢だったらしく、女房のことを訊ねると、いくらでも記憶を喚起した。
小佐野の妻英子は、旧佐倉領主である堀田正恒元伯爵の次女であり、「学習院一の美女」と謳われた女性である。
そんな由緒正しい絶世の美女が、なぜあんな怖そうなオジさんと……謎である。まあ、愛し合っていたのであろう。
我々の先輩記者は、ともかくも小佐野の家を直撃した。昭和38年の夏のことである。
「旧華族の娘と結婚した理由? そんなもんはありゃしねえよ」と小佐野は答えた。
では、どんなもんがあったのか。以下は、いまは亡きフィクサーの結婚観である。
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