「樹木希林さん」書斎に遺された「100冊の蔵書」リスト 死生観に影響を与えた宗教書も
夫への“お手当”は月250万円
二人が結婚したのは1973年、結婚時に裕也は多額の借金があったのですが、希林さんはその借金を黙って返済しました。75年には、裕也がジェフ・ベックらを招いた「ワールド・ロック・フェスティバル」をプロデュース。東京公演で後楽園球場を借りるとき、キャッシュが不足していたのですが、希林さんがマンションを抵当にいれて、数千万円を用立てました。
希林さんの裕也への陰徳は、希林さんが亡くなる時まで続いていました。彼女は別居していた裕也に対して約45年間、毎月の“お手当”を払い続けていたのです。
希林さんが亡くなる年、「ところで裕也に対するお手当は、今はどのくらい?」と訊ねたことがあります。すると彼女は「月250万円」とポツリと言いました。
希林さんはそのお金の一部が“愛人”に渡る金だと知りながらも払い続けていた。ほかにも、裕也が英国で転倒、負傷したときに莫大な入院治療費を払ったり、女性関係のトラブルを解決するときなど、不時の出費がたくさんありました。
いくら希林さんが女優業やCM出演で稼いでも、それほどの金額は賄いきれない。どうやってお金を工面していたのかといえば不動産です。彼女は不動産収入で財を成していました。
書棚には『乱歩の軌跡―父の貼雑帖(はりまぜちょう)から―』がありました。著者の平井隆太郎は、江戸川乱歩の長男。希林さんは探偵小説やミステリー本のファンでもなかった。ではなぜ乱歩の本が入っているのか。
この本は、乱歩が職業遍歴や転居の記録などを克明に記していた数冊の貼雑帖を元にした、風変わりな自伝です。印象的なのは、住んだ家の精妙な手書きの「間取図」が19枚も入っていること。実は希林さんは大の「間取り」好きでした。
希林さんは若い頃から不動産に興味があり、都内の一等地にマンションを持つなど不動産投資を行っていました。土地や建物を見て、直感で売買を決めるのですが、その売買で一度の過ちも犯さなかった。その才能があったからこそ、陰徳を積めたのです。
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