コロナ感染者への差別をなくすにはどうしたらよいのか

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 新型コロナウイルス感染者への差別や中傷が後を絶たないことから、文部科学省は8月25日、子どもや教職員、さらには地域住民に対し、差別につながる言動を行ったり同調したりしないよう呼びかける緊急のメッセージを発出した。

 萩生田文部科学大臣は、「新型コロナウイルスには誰もが感染する可能性があり、感染したという人が悪いということではない。悪いという雰囲気ができて、感染したことを言い出しにくくなると、さらに感染が広がってしまうかもしれない」と危機感を露わにした上で「差別に対する取り組みは、政府全体で進める必要がある」と強調した。

 全国の学校現場では様々な取り組みが開始され、教員を対象にした講座も開催されている。講座の中で日本赤十字社東京都支部の職員は「病気が不安を呼び、不安が差別を生んでいる」と差別発生のメカニズムを説明している(8月25日付NHK WEBニュース)。

 不安が差別を生むことについて、宗教学に詳しい島薗進・上智大学グリーフケア研究所長は「古代から根強く意識されてきた『死の穢れ』が再び『感染症』と結びつけられ、近代科学が抑え込んできたはずの恐怖心が表に出ている面がある」と指摘する(8月16日付朝日新聞)。

「穢れ」とは、死や疫病などによって生じた、忌まわしい状態を表す宗教学や民俗学の観念であり、共同体に悪影響を及ぼすと信じられ、避けるべきものとされている。

「穢れ」という観念が日本に流入したのは、平安時代だと言われている。平安時代に日本に伝わった仏教が、「穢れ」の観念を持つものが多かったことから、京都を中心に日本全国へと広がっていった。穢れが身体につくと、共同体の行事に参加することが禁じられるようになり、江戸時代になると、家畜の解体などに従事していた賤民(社会の最下層に置かれて差別された人々)が「穢多」と呼ばれるようになった。

 現代の日本でも「穢れ」の観念は根強く残っており、福島第一原子力発電所事故に伴う福島県からの避難民や物資に対する差別の問題の根底に「穢れ」の観念があるとの指摘がある。

 新型コロナウイルスに感染したことで共同体に悪影響を及ぼす「穢れ」の存在になった人たちが、共同体の行事への参加を禁じられてしまったというのが、現在生じている差別の問題の本質なのかもしれない。

 この仮説が正しいとすれば、通常の普及啓発活動だけでこの問題に対処することは困難だろう。

 それではどうすればよいのか。

 宗教学や民俗学の教えによれば、「穢れ」は「禊ぎ」や「祓い」によって浄化できるとされている。「禊ぎ」は身体の「穢れ」を除去して浄める行為であり、「祓い」は災いを取り除く行為のことである。

「穢れ」とはもともと「ケガレ」であり、「ケガレ」とは日常生活を営むための「ケ」のエネルギーが枯渇することを意味するが、「ケガレ」は「ハレ」の祭事(みそぎ・はらい)を通じて回復するというわけである。

 新型コロナウイルス感染者が、共同体の行事に再び参加できるようになるための「みそぎ・はらい」とは何だろうか。

 筆者は医学の専門家ではないが、新型コロナウイルス感染者に「回復者血漿療法」に積極的に貢献できる道筋をつくることが一案ではないかと考えている。

 米食品医薬品局が23日、新型コロナウイルス感染症の治療として、回復者血漿療法を緊急承認したことで、日本でもその存在が知られるようになった。

 回復者血漿は、特定の感染症(例えば新型コロナウイルス)から回復した献血者(ドナー)から得られる血漿のことである。血漿とは、血液の中から赤血球・白血球・血小板などの血球成分を取り除いたものであり、この血漿の中にはウイルスなどの病原体を不活性化する様々な抗体が含まれている。回復者から血漿を提供してもらい、これを投与することで新しく感染した患者の治療に役立てることができるのである。

 回復者血漿療法は日本ではあまりなじみがないが、古くはスペイン風邪の感染者に対する治療としても行われており、感染症に対する古典的な治療法の一つであるとされている。

 重篤な新型コロナウイルス感染者3万5000人以上を対象にした米国の初期段階の研究によれば、死亡率は一定の割合で低下している。

 中国の臨床研究では、酸素投与が必要であり、人工呼吸器が必要なほどではない中等症の感染者に対して有効性が示されたとされている。

 日本では国立国際医療研究センターなどで今後安全性の評価が実施される段階だが、中国や米国のような大規模な臨床試験が実施される可能性がある。

 新型コロナウイルスに感染したことで共同体に「穢れ」をもたらした人々が、回復後に自らの血漿を提供し、日本国内における回復者血漿療法の確立に貢献し、共同体における新型コロナウイルスに対する不安を除去するという「みそぎ・はらい」を行うことで、共同体の行事に再び参加することができるようにするという発想である。

 もとより素人の浅知惠に過ぎないが、感染者に対する差別の問題については、日本にはハンセン病に関する悲しい歴史があり、けっして油断できないと思う。

 日本人の歴史性に基づく抜本的な対策が必要なのではないだろうか。

藤和彦
経済産業研究所上席研究員。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)、2016年より現職。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年9月3日掲載

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