もし30年前にコロナが流行していたら…(古市憲寿)

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 東京の空に飛行機を見る機会が増えた。林立するビルの上空をジャンボ機が飛んでいる。今年の春から羽田空港の新飛行ルートの運用が始まったのだ。

 本当なら、今まで羽田から直行便が就航していなかったミラノやストックホルムなどの都市に行きやすくなるはずだった。実際の展開はご存知の通りである。新型コロナウイルスの流行により、海外に行くこと自体、非常に難しい時代が訪れてしまった。

 事実、飛行機はスカスカらしい。全日空によると6月の国際線の旅客数は前年同月比96.2%減だという。もちろん減便をしているが、それでも座席利用率は3割を切っている。

 近年、これほどまで移動の自由が制限された日々もなかった。個人が移動の自由を持つこと。それは近代社会の大原則と言ってもいい。それを証明するように、基本的に近代の刑罰といえば死刑、罰金、そして自由刑である。日本では禁錮刑と懲役刑にあたるが、多くの場合、犯罪者は自由刑に処されることになる。

 前近代にたくさんあった残酷な身体刑のほとんどが自由刑に置き換えられた。なぜか。哲学者の國分功一郎さんは、移動の自由の制限こそが人間にとって最も苦痛であるからだと推測する(『コロナ時代の哲学』左右社)。

 感染症予防という大義名分があれば、移動の自由は制限されていいのか。この問いは、30年前だったらより深刻に議論されていたのではないかと思う。

 もしも新型コロナウィルスが1990年頃に流行していたら、PCR検査数に関してSNSで激論が交わされることも、芸人がオンライン飲み会で下半身を露出させたことがニュースになることもなかった。人々は新聞や雑誌、テレビの情報をもとに、より孤立した生活を送らざるを得なかったはずだ。今とは寂しさの質が違っただろう。

 もちろん電話やFAXはあったが、リモートワークを成立させるのは困難だったはずだ。事前に手紙やFAXで電話会議の時間を伝え、顔が見えない中でお世辞や嫌味を言う。想像しただけで大変そう。

 昔から新技術が登場するたび「こんなことがリモートでできます」と喧伝されてきた。たとえば19世紀末から20世紀初頭にかけては、晩餐会などのパーティーはもちろん、裁判や結婚式まで電話や電信で済ませようとする動きがあった(『古いメディアが新しかった時』新曜社)。

 21世紀の感覚でも「電話で裁判なんてできっこない」と思ってしまうが、実はそう感じる現代人こそ保守的なのかも知れない。電話が登場した頃と比べて、我々は遥かに多くのテクノロジーを手にしている。シンガポールの裁判では、Zoomで死刑判決を受けた被告もいるという。対面こそ素晴らしいという幻想から自由になる機会が増えてもいい。

 移動を伴わずとも多くのことが済んでしまう時代に新型コロナが流行したことは、幸せだったのか不幸だったのか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2020年9月3日号掲載

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