謝罪・賠償を求める「韓国」…セクハラ外交官の件では頭を下げない矛盾
日韓共同宣言を破棄した国会決議は韓国の国内問題にすぎない
かつて日本政府の韓国と中国に対する姿勢が謝罪外交と揶揄された時代があった。
1984年9月6日、昭和天皇が全斗換大統領を招いた宮中晩餐会で20世紀前半の両国関係に遺憾の意を表され、翌7日には当時の中曽根康弘首相が謝罪の意を述べている。
全斗換大統領は昭和天皇に謝意を示した。
平成天皇も1990年に盧泰愚夫妻を招いた宮中晩餐会で痛惜の念を述べられ、盧泰愚大統領は、過去の歴史の陰を消し、残滓を取り除くために努力しなければならないと答えている。
謝罪は完結したかに見えたが、90年代の猫の目政権は依然として謝罪外交を展開した。
1990年には海部俊樹首相、92年には宮澤喜一首相が盧泰愚大統領に謝罪し、96年には橋本龍太郎首相が金泳三大統領に謝罪した。
直接ではないが95年には村山富市首相が謝罪談話を公にした。
猫の目政権の首相と韓国大統領の首脳会談、あるいは閣僚級会談の日本側の第一声は常に謝罪で、謝罪外交という批判を浴びた。
その謝罪外交は1998年に終結した。
10月7日、小渕恵三首相が来日した金大中大統領に謝罪を述べると、金大統領は小渕首相の謝罪を受け止め、未来志向の新たな日韓パートナーシップを提案、両首脳は「日韓共同宣言」を発表した。
以後、日本政府は節目節目に謝罪談話を発表するが、会うたびに謝罪する因習はなくなった。
一方、韓国国会は2001年7月18日、謝罪受け入れを明記した「日韓共同宣言」の破棄を決議。
盧武鉉政権を皮切りに、それ以後に誕生した政権は謝罪要求を繰り返すものの、日本政府は一切応じていない。
日韓共同宣言を破棄した国会決議は韓国の国内問題にすぎず、日本政府は日韓両首脳が交わした約束を守っている。
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